2004年の7.13水害から22年となった13日、新潟県三条市では五十嵐川水害復興記念公園(三条市諏訪1)に献花台が設置され、破堤時刻に合わせて午後1時15分、滝沢亮市長らが三条市で犠牲になった9人の冥福を祈るとともに、防災意識の継承と災害に強いまちづくりへの決意を新たにした。
朝は22年前を思い出させる雨
五十嵐川水害復興記念公園は、7.13水害の破堤カ所に発災から5年後の2009年に完成。建立した「慰霊之碑」の前に献花台を設置して毎年、献花を受け付けている。
この日は朝、一時的に強い雨が降り、五十嵐川水害復興記念公園前の五十嵐川の流れが激しく、22年前を思い出させたが、黙とうが始まるまでにいったんやんだ。22年前のこの日は、明け方をピークに1日で208ミリの雨量を記録する猛烈な雨が降っている。
破堤時刻の午後1時15分からの黙とうには、滝沢亮市長をはじめ市議、地元選出の衆院議員や県議ら十数人が参列。黙とうをささげたあと、順に献花を行った。
その後の囲み取材で滝沢市長は、「22年前、亡くなられた皆さまのご冥福をお祈りするとともに、改めて災害に強い三条市を市民の皆さまと一緒につくっていかなければならないとお誓い申し上げた」と気を引き締めた。
東京で知った故郷の被災「今でも衝撃が残る」
市長自身は水害当時、大学1年生として東京で暮らしていた。
当時を振り返り、「まさか自分のふるさとが、自分の通っていた高校をはじめ、全国ニュースになるような甚大な被害を受けるとは思ってもいなかった。その時の衝撃は今でも記憶に残っている」と振り返った。
故郷が未曽有の災害に見舞われたことは、離れて暮らしていた滝沢市長にとっても忘れられない出来事となっている。
災害を知らない世代が多数に 経験の継承が課題
発災から22年が経過し、市役所職員の世代構成も大きく変わった。
滝沢市長は「市の職員は約7割が22年前の水害を経験していない世代。大学4年生以下の人たちは経験していないことになる」。そのうえで、「市役所と市民が一緒に、防災や災害対応の意識をつくりあげていかなければならない」と、災害の記憶を風化させず次世代へ伝える重要性を強調した。
「最後は人」 異常気象時代の防災を訴え
近年は全国各地で豪雨や地震など自然災害が相次いでいる。滝沢市長は「異常気象がある意味、当たり前の世の中になってきている。それにかつスピーディーに対応していかなければならない」と危機感を示した。
AIや各種デジタル技術など防災を支えるテクノロジーの進歩にもふれ、「さまざまな技術は発展しているが、やはり最後は人。役所もそうだし、市民と一緒に防災意識を改めて高めていかなければならないと実感した」と話し、行政と地域住民が一体となった防災力向上の必要性を改めて訴えた。
