新潟県三条市の元教育委員長で、機械工具・工業用品などを扱う(株)梨本商店(梨本次郎代表取締役社長・三条市西本成寺2)の取締役会長、梨本清一(なしもと・せいいち)さん=同市東本成寺=が2日午後6時27分、老衰のため済生会三条病院で死去した。90歳だった。

事業を通じて地場産業のものづくりを支え、教育や青少年育成など幅広い地域活動に尽力した。70歳からは写真に打ち込み、数々の公募展やコンテストで入賞、入選を重ねた。
容体急変から明け方に反応、離れて暮らす家族へ連絡
梨本さんは近年、肺炎で入退院を繰り返し、ことしは3回目の入院だった。入院が長引くと足腰が弱り、退院して少しずつ元気を取り戻しても、再び肺炎で入院。その繰り返しで、しだいに体力が衰えていった。
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病院から容体の急変を知らせる連絡があったのは1日の夜。次男の次郎さん(52)が約30分後に妻と駆けつけると、梨本さんには意識がなく、呼びかけにも反応がなかった。呼吸が途切れるような状態が続き、次郎さんたちは、もう最期かもしれないと思いながら手を握って付き添った。
その状態が約3時間続いた後、呼吸が落ち着いてきた。さらに明け方には目を開け始め、言葉は話せなかったものの、手を握ると握り返すようになった。どこまで意識が戻ったのかはわからなかったが、父が反応を見せるようになったことで、次郎さんは離れて暮らすきょうだいや子どもたちに連絡を取り始めた。
家族がそろうと涙と笑顔、感謝の言葉に包まれて

梨本さんの妻、トアさんは2021年に79歳で先立った。梨本さんの子どもは4人。福島県や東京都、上越市などに暮らす子どもたちが、それぞれ病院に向かった。梨本さんの内孫である次郎さんの子ども3人も駆けつけた。このうち長女と次女は東京の大学に通っており、帰省して病院へ急いだ。
家族が到着するまで次郎さんは、梨本さんのそばで「あともう少しで来るからね」「新幹線に乗って来るからね」と声をかけ続けた。次郎さんは、父が家族の到着を待って懸命に持ちこたえているように感じた。
夕方になって孫も到着し、全員がそろった。「みんな来たよ」と声をかけると、梨本さんは涙を流し、わずかに笑顔のような表情を見せた。言葉にはできなくても、家族がそろったことをわかってくれたのではないか。次郎さんは、その表情をそう受け止めた。
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子どもや孫たちは梨本さんの手を握り、「お父さんありがとう」「おじいちゃんありがとう」と、それぞれに感謝の言葉を伝えた。
家族が見守るなかで心拍が少しずつ低下し、息を引き取った。全員がそろってから、わずか10分ほど後のことだった。次郎さんには、父の表情は苦しそうに見えなかった。
最後まで人生をやりきる姿勢を家族に

生前に望んでいた通り、子どもや孫に囲まれ、手を握られながらの旅立ちだった。次郎さんは、家族が最期に間に合ったというより、父が間に合わせてくれたように感じたと話す。家族の間でも「奇跡だね」と言葉を交わした。
写真に打ち込んできた父の姿にも重ね、次郎さんは「俺の最後の作品を作れみたいな感じだった」と振り返る。自分が望む最期を、家族とともに迎えた父。その姿に、最後まで自分の人生をやりきろうとする強い思いを感じた。
「本人もすごく満足していると思うし、本当に幸せだったと思う。僕らもそれができてよかった」と次郎さん。自分がやりたい人生を最後までやりきる姿勢を、父が最後の最後まで見せてくれたと話した。
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家業の米穀商を継ぎ、工業用品の商社へ
梨本さんは1936年(昭和11)1月7日、三条市北四日町生まれ。三条高校を経て、58年に中央大学経済学部を卒業し、家業の米穀商「梨清商店」を継いだ。
家業では、父の代からベルトや研磨剤などの工業用品も扱っていた。高度経済成長期に周囲の企業が成長していく姿を見て、梨本さんは工業用品の事業を広げようと考えた。
69年にベルト部門を分離独立させ、71年に(株)梨本商店を設立。伝動機器や省力化機器、切削工具などへと取扱商品を広げ、地場産業を支える商社に育てた。2007年に次郎さんに代表取締役社長を譲り、会長に就いた。
幅広く地域に奉仕、教育行政に200万円を寄付

73年に三条青年会議所(現在の燕三条青年会議所の前身)理事長、76年に日本青年会議所社会開発委員長を務めた。保護司として34年間活動し、三条地区保護司会長、人権擁護委員、民事調停委員、司法委員なども務めた。
三条市PTA連合会長、三条北ロータリークラブ会長、三条高校同窓会長、三条商工会議所常議員・都市開発委員長などを歴任。三条市教育委員長や市小中一貫教育検討委員会委員長として教育行政にも深くかかわり、地域に奉仕した。
2012年9月には、保護司を最後にすべての公職から退くのを機に、市の教育行政に役立ててほしいと200万円を寄付した。当時、「地域にお世話になり、こういう仕事をさせていただいた感謝の気持ち」と語り、公職を離れた後も小中一貫教育の意義を伝え続ける思いを示していた。
70歳から写真に情熱、孫を撮った作品でグランプリ

70歳になった2006年、写真家の山田昌男さんの写真教室に入り、写真撮影に本格的に取り組み始めた。各地の公募展やコンテストで入賞、入選を重ね、写文集も制作した。
新潟県写真芸術協会公募展で三条市長賞を受け、2013年の三条市美術展では「外で遊ぶ子どもたちⅡ」で最高賞の渡辺義雄賞を受けた
2017年には、三条市しらさぎ森林公園の「花菖蒲まつりフォトコンテスト」で、作品「内緒のはなし」がグランプリに輝き、作品は翌年の花菖蒲まつりのポスターに採用が決まった。

通夜は5日、葬儀は6日
通夜は5日午後7時から、葬儀は6日午前11時から、ともにVIPシティホール県央(三条市旭町1)で営む。出棺は6日正午。喪主は次郎さん。




