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三条市名誉市民・故渡辺義雄先生追悼写真展(2000.11.1)

パンフレット

三条市は1日から12日まで三条市体育文化センターで「三条市名誉市民・故渡辺義雄先生追悼写真展」を開いており、その初日1日は午前10時から会場で開場式を行った。

関係者ら約60人が参列。1分間の黙祷のあと高橋一夫三条市長は「日本写真界の重鎮であり三条市の誇りでもある、渡辺義雄先生が7月21日にご逝去され、ただただ残念でなりません。今回の作品は、渡辺先生が心血を注がれたいくつかの作品のなかから、代表作60点以上、戦中、戦後の作品の複製及び写真集等、合計100点以上が展示され、改めて先生の偉大な業績をたたえさせていただきたいと思います」。

左は長男一雄さん、右は田沼日本写真家協会会長

田沼武能日本写真家協会会長は「渡辺先生は、東京写真専門学校に入学、オリエンタル写真工業に入社され、写真に磨きをかけました。御茶ノ水の駅舎が先生の出世作。その後、建築写真に入り、戦後、岩波の企画で撮影した奈良の六大寺大観には8年間かかり、壮大な写真が掲載されました。日本建築を撮し、ゆるぎない地位になられました。伊勢神宮の遷宮を3回に渡って撮っているのは渡辺先生をおいてほかにない。最後は1986年、車イスでの撮影で、助手を務めたのが、木村恵一さんと、ご長男の一雄さん。献身的な助手を務めて作品を完成させました。写真界の文化振興に努められ、著作権運動で写真家の地位を向上させたのも渡辺先生のご尽力。三条市の誇り、そして写真界の誇りでもあります。三条市で追悼写真展が行われるのは大変有意義なこと。三条市のご好意に感謝いたします」と渡辺氏の業績をたたえた。

テープカット

渡辺氏の長男、一雄さんは「93歳で亡くなりましたが、歳をとってからも元気で、非常に多くの仕事をこなしていました。写真に携わった64年間、本当に自分が好きなことをひたすらやり続けました。亡くなった当日もベッドからソファまで自分の足で歩き、子供や孫の顔もわかっていました。晩年、寝たきりにもならなかったことは幸せなことだと思っております。三条市で追悼写真展を開かせていただくことに、大変感謝していおります」と思い出を語り、追悼展を実現させた関係者に感謝した。

作品に見入る参列者

これら3人と岡田兵一郎市議会議長、熊倉收一市教育委員長の5人がテープカットを行って開場。渡辺氏の作品に加えて写真資料など100点余りを展示している。1日は午前10時から午後6時、それ以外は毎日午前9時から午後6時まで。入場無料。

DATA PROFILE

渡辺氏は明治40年(1907)、三条町長を2期務めた旧大町の渡辺寅蔵の10人きょうだいの五男に生まれた。旧制三条中学校をへて昭和3年東京写真専門学校を卒業後、オリエンタル写真工業に入社、同10年にワタナベ・プロを開いて独立。同25年に日本写真家協会を創設し、33年にはその会長に就任、以後20年余りもその重責を担った。昭和23年から建築写真集を矢継ぎ早に出版し、日本写真家協会年度賞、芸術選奨文部大臣賞、通産大臣賞を次々と受賞。同49年には写真集「伊勢神宮」で毎日芸術賞、同53年には勲三等瑞宝章を受章。

平成2年、写真界初の文化功労者に認定されるとともに、三条市の名誉市民、またこの年、開館した東京都写真美術館初代館長にも。それまで日大芸術学部教授として後進の育成にも貢献し、まさにわが国の写真界の頂点に立つ一人だ。

ことし7月21日、肺炎のため93歳で死去。死亡叙位叙勲により正四位、勲二等瑞宝章を受ける。

生まれ故郷の三条市で渡辺氏の写真展が開かれるのは、40年余り前の「ソ連とヴェトナム写真展」、平成2年の三条市主催「渡辺義雄写真展」、同4年に母校、三条高等学校創立90周年記念事業として三条商工会議所で開かれた「渡辺義雄写真展」に続いて4回目。

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