ケンオー・ドットコムのロゴ 燕西蒲勤労者福祉サービスセンター
燕三条のお悔やみ情報「縁をむすぶ」
三条パール金属スタジアム・サンファーム三条
外山産業グループ 外山産業、外山工業、グリーンライフ、メッツ
損害保険・生命保険・資産運用のことなら株式会社エフピーエム
スノーピーク オフィシャルサイト アウトドア/ナチュラルライフスタイル用品 製品 製造・販売メーカー
スポンサードリンク

spacer コンテンツ
spacer ショップ検索

公共施設も検索可能
分類別検索はここ

spacer

ニュースタンク

...見出し一覧へ


spacer元三条商議所会頭、鈴木宗資さんが死去spacer(2003.3.31)

平成9年まで16年近くにもわたって三条商工会議所会頭を務め、三条の産業界の重鎮だった木材問屋(株)鈴木商店=三条市本町4=会長の鈴木宗資さんが31日、老衰などのため死去した。88歳だった。

4、5年前に日中友好の翼で中国へ行ったときの鈴木さん

4、5年前に日中友好の翼で中国へ行ったときの鈴木さん

鈴木さんは昨年6月中ごろから1カ月間、胃痛や高血圧で済生会三条病院に検査入院した。順調に回復し、退院後は自宅で療養したが、体力が弱ったこともあって今年に入ってからは、ほとんど寝たきりだった。以前、風呂場で転んでから週2回、介護を受けて入浴していた。

29日まで食事も元気に食べていたが、30日に昼食を食べてからいつもと違って昼から4、5時間眠った。日課だった午後4時ころのおやつも食べなかったため、かかりつけの小出医院の小出建一院長に診てもらったが脈拍や血圧は正常だった。

しかし、午後8時ころから呼吸が乱れ、意識がはっきりしなくなり、明けて31日午前4時15分、家族に見守られ息を引き取った。

鈴木さんは三条商工会議所で昭和30年から55年まで常議員を務め、昭和56年に会長に就いた。平成9年に退いた後も顧問を務めた。平成4年に竣工した商工会議所会館の建設にも尽力し、その2年ほど前から自身も企業へ出向いて募金活動した。

強い情熱と信念が毒舌という形で表れることもあった。その歯に衣着せぬ物言いで物議をかもしたことも数多く、自信もその影響力を知りながらあえて言葉で地元業界を鼓舞し、相手の地位に関係なく毅然と立ち向かった。

産業界のみならず、茶道でも三条茶道会の会長を務めるなど文化人としても功績を残し、和歌、謡曲、踊り、そして三条では草分けだったゴルフと、仕事にも趣味にも熱中した。

鈴木さんの長女の夫、武さんは「気丈な人でしたから、小出先生がこられたときも、本人は大丈夫と話していた」「最後は本当に眠るように自然と息を引き取りました」と話す。

「『好奇心を持つことが若さの秘訣』を座右の銘にして、見識を深めるために本をたくさん読み、海外へも数多く出かけた。昨年2月にはアルゼンチン、ブラジルに出かけ、向こうで泳いできたと、土産話を聞かせていた」と、今も元気な鈴木さんの姿が目に焼き付いている。

三条商工会議所の現職員で最も鈴木さんとつき合いが深かった梅田斉局長は「温厚な方だった。いろいろな海外視察へも同行し、ご覧になったものを和歌にして思いを書いて見せてくださった。ユーモアを交え、その年がいい年であることを祈念させるような新年会でのあいさつは、ことしはどんな話をされるのか毎年、皆さん関心をもっていた。いろいろな場面で会社を経営してこられた方、これからご指導を仰ぐことができないというのは本当に残念なこと」と話している。

通夜は4月1日午後7時から、告別式は2日午後零時からいずれも三条市旭町2、ジャクセン県央。出棺は午後1時。喪主は武さん。