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三条市が市内3中学校で被爆体験講話、広島での被爆体験を聴く(2005.9.21)

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三条市は20、21の2日間、市内3中学校で平成17年度被爆体験講話会を開いており、13歳のときに広島で被爆、今も広島市に住む松本都美子さん(73)が語る生々しい被爆体験に中学生が真剣に聴き入っている。

20日、三条市栄中で開かれた平成17年度被爆体験講話

20日、三条市栄中で開かれた平成17年度被爆体験講話

旧三条市が平成11年に非核平和都市宣言を行って以来、毎年市内の中学校2、3校で開いた講話会を合併後の三条市でも引き続き行っているもので、ことしは20日に栄中と下田中、21日に第一中の3校で開いている。

5月に合併して初めて被爆体験講話会の会場となった栄中学校(田浦善雄校長・生徒388人)では、午前9時45分から同校体育館で開き、全校生徒と職員、希望した保護者が聴講した。

13歳のときの被爆体験を語る松本さん

13歳のときの被爆体験を語る松本さん

講師の松本さんは、高等女学校2年の13歳の時、爆心地から1.4キロの竹屋町にあった学校の校庭で被爆。松本さんは、そのときの様子やその後の生活を静かな口調で淡々と語った。

「二度と被爆者をつくってはいけない。核を使ってほしくない。戦争は残酷で悲惨なもの、二度とあってはならない」と訴え、近年、報道で知る日本の変化に不安を感じると警鐘を鳴らし、運命の日の記憶をたどった。

8月6日午前8時10分、松本さんは朝礼で校庭に出て被爆した。「驚くばかりの光に出会ってしまった」、「ぴかっと光るオレンジ色の光、太陽が落ちてきたような感じがして、いったい何が起きたか分かりませんでした」。

真剣に聞き入る栄中生徒

真剣に聞き入る栄中生徒

髪に手を差し入れるとガラスの破片でざらざらし、顔は血でべったり。背中をさわると皮膚がずるっとむけ、両手は肩から指先まで皮膚がだらんとぶら下がっていた。

自分の姿を知って腰が抜けたようにしゃがんでいたが、火の手が近づき、皮膚のぶら下がった両腕を胸のところで抱えて逃げた。同じようにお化けのように変わり果てた人たちに、「悪い夢か、これが地獄か」と感じた。

被爆後は「明るい楽しい学校生活や青春時代は少しもなかった」と松本さん。その分、栄中の生徒には、楽しい学校生活を送ることを願い、平和学習を続けることをと願った。

生徒は、松本さんをじっと見つめて話を聴いた。生々しい話に目線を下に落とす生徒や手で涙をぬぐう生徒も。講話会後、教室に戻りながら「教科書では勉強したけど…。ショックだった」と話す生徒もあり、松本さんを通して原爆の恐怖や残虐さと向き合っていた。