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三条市の3市長を収入役、助役、副市長として支えた佐藤副市長が6月29日の任期満了で退任へ (2009.6.6)

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三条市の佐藤和雄副市長(70)が6月29日の任期満了をもって副市長の職務を退任することがわかった。

6月29日の任期満了で退任する三条市の佐藤副市長

6月29日の任期満了で退任する三条市の佐藤副市長

佐藤副市長は、以前から今の任期限りでの退任する考えを国定勇人市長に伝えており、国定市長がその申し出を受理し、5日に正副議長と各派の代表者らに説明した。

佐藤副市長は昭和13年11月生まれの70歳。35年10月に旧三条市の水道局勤務となって以来、税務課、市民課、建設課、総務課を経て、市民課長、水道局長、建設部長を務めて特別職に就いた。

平成7年6月30日に長谷川長二郎元市長のもとで旧三条市の収入役に就任し、9年5月16日に三条市の16代目の助役に就任。任期中の11年4月から今度は高橋一夫前市長のもとで助役を務めた。

17年4月で市町村合併で失職後、同6月に新三条市の助役に就任。18年11月からは国定市長のもとで務め、19年4月1日に制度改正による職名の変更で副市長となった。

市職員として34年9カ月勤続、3人の市長のもとで就いた助役、副市長などの特別職約14年の合計約49年、ほぼ半世紀を三条市に尽くしている。

この日、取材に応えた佐藤副市長は、任期での退任について話した。これまでの一番の思い出は平成16年の7・13水害とふり返り、それから5年たった今も復旧途上の人が多いが、河川改修など災害復旧も進み、7月に復興記念式典を開けるまでになったことはひとつの区切りとの認識を示し、「ほっとしたという気持もありました」。

水害の復旧事業などは「逃げちゃだめだと言われ、市長と一緒に一生懸命、手がけてきた仕事」とも話し、災害復旧のめどがついたことが退任の大きな理由のひとつのようだ。

佐藤副市長への思いを話す国定市長

佐藤副市長への思いを話す国定市長

さらに、合併から5年、まちづくりも軌道に乗り順調に推移した。助役になってすぐに手がけた新斎場が9月に供用開始となることなどをあげ、「わたしとしては大きな区切り」と話した。また、国定市長には早い段階で、任期いっぱいでの退任の意思を伝えていたという。

佐藤副市長は、「特別職としての重職を長く務めさせてもらったことは光栄で、感謝の気持ちでいっぱい」。職員時代は税務課や建設課での用地交渉など毎日が市民との出会いだったと振り返り、「どれほど大勢の方との出会いがあり、皆さんにかわいがってもらったことか。それが私にとって一番の財産」と言い、その出会いがあって大勢の市民や先輩、同僚に支えてもらったからこそ、ここまでこられたと話していた。

さらにこの日、国定市長も佐藤副市長から任期いっぱいでの退任を以前から聞いていたことを打ち明けた。退任の受け入れを決断したのは5月の前半。後進の指導のためにも1日も長くとの思いだったが、副市長の気持ちを聞き、引き際を尊重した。

「すばらしい副市長に支えていただいた。本当に市政の発展のためにご尽力いただいているから、“感慨深い”では収まりきれない感謝の気持ちでいっぱい」、「とくに水害のときは一緒に対応する場面も多かった。年齢を超えた戦友のような思いで過ごしてきている」と国定市長。

退任後も大助役としてのアドバイスを求める場面もでてくると言う。また、後任の人事は白紙。佐藤副市長の退任後に検討し、環境が整えば7月25日前に臨時会を開いて提案できればとしている。