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16、17日と三条市内3中学校で被爆体験講話、広島で被爆して妹を失った82歳男性が体験を語る (2010.2.16)

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三条市は16、17の2日間、市内3中学校で平成21年度被爆体験講話会を開いており、17歳のときに広島で被爆し、13歳の妹を亡くした広島市の細川浩史さん(82)が中学生に被爆体験を語っている。

16日に三条第四中学校で行われた被爆体験講話

16日に三条第四中学校で行われた被爆体験講話

旧三条市が平成11年に非核平和都市宣言を行ってから毎年、市内の中学校2、3校で被爆体験講話会を開き、合併後の三条市でも引き続き実施。ことしは16日に第四中と大島中、17日に大崎中の3校で開いている。

被爆体験を語る細川さん

被爆体験を語る細川さん

16日の第四中学校では、午前11時から校体育館で全校生徒と職員、希望した保護者が聴講した。

65年前の8月6日、講師の細川さんは、爆心地から1.3キロの広島逓信局で被爆した。女学校に通う妹は爆心地から700メートルの建物疎開作業中に被爆し、その夜に亡くなった。

「体力と気力のアンバランスを感じ、もう限界かなと思うこともある」と細川さん。「間もなく被爆体験をした人がいなくなる。絶滅する前に、若い世代に伝えたいとやってまいりました」と話し始めた。

快晴の月曜、仕事が始まって間もなく、突然のせん光と爆風で吹き上げられ、たたきつけられた。頑丈な建物のガラスが粉々に割れ、全身に突き刺さり出血した。木造の家はぺちゃんこになり、方々から「助けてくれ」という声を聞きながら歩いたことなど今も鮮明な記憶を話した。

自身の体験、最愛の妹がどのように亡くなったかを中心に、聴講している生徒と同年代の少年少女の命など何もかもを一瞬にして消した原爆の悲惨さを静かに話し、生徒たちには「自分のことと受け止め、広島のことを考えてほしい」と伝えた。

原爆によって「皆さんと同じ、少年少女が65年前の広島からみんないなくなった」、「戦争は国家的テロ」、「正気でなくなり、平気で人を殺す」と戦争の恐ろしさを話し、警鐘を鳴らした。

講話に聞き入る生徒

講話に聞き入る生徒

音楽が好きで今の東京芸大への進学を願っていた妹はもちろん、大きな夢や希望をもちながら死んでいった広島の少年少女たちと話しながら、将来のことを考える年ごろの中学生たちに「決めたら一生懸命進んでほしい」と未来を託した。

生徒たちは、細川さんの方をじっと見て真剣に話しを聴いた。講話の最後に細川さんは「重い話を本当によく聴いてくれてありがとうございました。みなさん、元気でね」と笑顔で話した。