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三条商工会議所創立70周年記念式典でミニ経済講演会のような熱い祝辞を述べた泉田裕彦県知事 (2010.10.15)

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14日行われた三条商工会議所の創立70周年記念式典で来賓祝辞を述べた泉田裕彦県知事は、ミニ経済講演会ともいえるような内容が濃く、熱い内容だったので、その祝辞全文を掲載する。

三条商工会議所の創立70周年記念式典で来賓祝辞を述べる泉田知事

三条商工会議所の創立70周年記念式典で来賓祝辞を述べる泉田知事

泉田知事の祝辞は、文字に直すと約3,500文字、原稿用紙9枚近くに及んだ。どうしても話しておきたいとでもいうように早口で、とくに後半は息継ぎもままならいのではと思えるほど。

かつて通産省、経産省に籍を置いた経済のスペシャリストということもあり、現在の経済環境、経済政策を中心としたテーマにスイッチが入ったのか、まくしたてるような勢いで熱のこもった迫力の祝辞だった。

少子高齢化や円高を一面的、否定的にとらえず、やみくもに将来に対して悲観的にならず、国力や技術を信じて産業界の積極的な取り組みが好循環の転換につながるといった内容。政府や日銀の対応に批判的な辛口な指摘もある。

また、今の不況、デフレから脱却するために今から80年近く前の高橋是清蔵相の政策が持ち出すあたり、リフレ派だろうかとも思われ、泉田知事の経済政策に対するスタンスを知るうえでも興味深い。祝辞の全文は次の通り。

泉田知事の祝辞

三条商工会議所の70周年、誠におめでとうございます。また、栄えある表彰された皆さま方、本当におめでとうございました。この70年という歴史は、日本が先の大戦で敗戦をしてから、世界第2位の経済パワーにのぼりつめる、その過程の中で大変、皆さま方の日々の努力が、ご苦労が実を結んだ、そういった70年であったというふうに思います。

この間、三条商工会議所が果たしてきた役割は大変、大きいというふうに実感をいたしております。本当に三条地域を、新潟県を、そして日本を支えてきていただいた皆さま方に心より感謝を申し上げたいというふうに思います。

先ほど渡辺会頭から、円高のお話がございました。円高ということでですね、将来に悲観をされている企業さんも大変、多いと。県といたしても懸念をいたしているところでございます。しかし、相対的とはいえ日本経済が世界のなかで最も評価されているというのも事実でございまして、先はまったくないのかというと決してそんなことはない、というふうに思っています。

今、若干、懸念をしていますのは、日本は少子高齢化が進んでいるなかでですね、将来は暗いという思い込みがあるんではないかというふうに懸念をいたしております。実は、少子高齢化という意味でいいますと中国の方がもっとすごいスピードで進んでいるというのが現実であります。

なぜならば、もう30年も一人っ子政策を進めているということで、少子高齢化だから経済に元気がないっていうのは、これはまったく幻想でございます。そうではなくて今、将来に先が見ないのはなぜなのかというと、残念ながらデフレであるからということに尽きると思ってます。

昭和40年代、新潟県の多くの方々は30代半ばになってお子さんが小学校に上がると住宅を建てる、広いところに住み替えるというのが平均的な時代がございました。企業もですね、貯金をしておくよりは、打って出ようという活力があったわけです。今、30代半ばというとニート、フリーターということでですね、なかなかこう、結婚すらできないというような状況になってる。企業もですね、投資を控えたり、それは何なのかと言えばですね、お金にしておいた方がものに変えるよりも安全だから、ということに尽きるんだと思います。

これは戦前もありました。1929年、世界恐慌の後、昭和恐慌がやってきました。首切りが進みですね、震災が起きる、そして企業は倒産が進んでいくという時代があったわけですが、なんとわずか1年で景気回復を遂げた男がいます。高橋是清蔵相。当時何をやったのかというとですね、30%の円の切り下げ、そして地方の公共事業の拡大、軍事費の拡大ということをやりました。

時代が時代でしたので、これをやったところですね、マイナス10%の経済成長が続いていた、その翌年からですね、経済成長なんと7%弱まで回復をします。これが4年間続くわけです。インフレ率は1.5%ということです。そしてそろそろインフレが危険だよねと感じ始めたときに高橋蔵相は財政拡大を止めたわけです。何を止めたか。軍事費を止めた。結果、二・二六事件で暗殺されるということになったんですけれども、歴史に学べばですね、日本経済って言うのは、強い円をもってですね、債券国なわけです。

そして高齢化というのは決してですね、足手まといにならないっていう例があるなかでですね、ぜひともですね、将来に明るい展望をもてるような、そういう経済政策を実施をしていきたい。また、あの政府にもですね、これを求めていけばですね、1年で反転ができるということが歴史が教えてるわけでございますんで、ぜひですね、将来に過度に悲観的になるということはですね、この70周年を機にですね、明るい展望にも期待をしていただきたいと思ってます。

ちなみに、金融機関の皆さんにお伺いすると、企業のですね預金が今、増えてる状況です。この経済状況においても預金が増えるっていうのはなぜなのかと。経営がですね、やはり内部留保を増やして将来不安に備えようということであって、これがもし投資に回ればですね、歯車が突然、好循環に変わるっていう、そういう局面があるっていことをですね、ぜひとも皆さん方、経営のなかでですね、心に留めておいていただきたい。

今、ひとりだけ飛び出せば危ない。でも回り始めたときには速いよと。現実にですね、円高は止められないかっていうと、止められるわけです。中国は先月、1カ月間に16兆円、為替介入しました。日本は2兆円です。もし16兆円介入していたらですね、85円、90円といってる、いうことだと思います。

これをですね、やらないがためにですね、為替というのは今、円高にふれてるに過ぎないわけでありまして、以前ですね、一国で介入しても効果がないって言っていた評論家の皆さんはぜひ反省していただきたい、ゆうふうに思っています。

一国であっても一国の通貨に固定するっていうのは、歴史上、日本は360円に固定をしてきたわけですし、また、中国は今でもドルに対して固定をしているわけです。やろうと思えばできるけども、経済環境が許さないと、国際環境が許さないということが明らかになったということだけの話でして、実際、やろうと思えばできるということだと思ってます。

これをしっかりやればですね、実は我々の国は大変、広い可能性が広がってるということだと思っております。長くなるのでそろそろやめますけれども、とくにですね、近隣諸国、新興国の貿易が黒字になればなるほど日本の黒字が増えるっていう状況になってます。

実は山形、福島のですね、有効求人倍率が新潟に追い付きました。その最大の原因は何かっていうと、電気、自動車の部品産業が活気を取り戻してるから。これ、7月までの水準なんで、円高以降はちょっとわからないんですけれども、確認できている数字で言うとですね、まさに新興国の貿易黒字が続くと日本から部品産業が出ていってですね、日本の経済を支えるという構造になってる。

三条、また燕地域もそうなんですけれども、雪国のなかでですね、細かい作業をいとわず一生懸命、努力をして培ってきた技術、これがですね、日本経済を支え、そして、敗戦からですね、今日まで豊かな社会を築いた原動力になってる。まさに三条地域、燕も含めてこの県央エリアがもっている技術が日本の戦後を支えてきたということで、本当に皆さん方が、この日本をつくっていただいたということでですね、心より感謝を申し上げたいと思ってます。

この技術がですね、失われる前に正しい経済政策を行ってですね、日本の技術、これを守っていくということが今、必要な時期に来てるんだというふうに確信をいたしております。そして、それができればですね、日本の未来っていうのは前途洋々としていると私は確信しております。

通産省にいたころ、多くの人がやってまいりました。そして私、日本の産業政策を説明する係をやらされてたんですけれども、どうしてですね、日本に多くの人が来たのか。戦争に負けて生産設備を失い、そしてまた多くの働き手を失った日本がですね、世界第2位の経済大国になる。資源もない、エネルギーもない国がなぜ、世界第2位の経済大国になるんだ。その秘密を教えろっていうことでですね、世界から多くの方が来られました。

きっと「Notorious MITI(ノトリアス・ミティ)」、これ、「悪名高き通産省」って訳すんですけども、この産業政策に秘密があるに違いないと言って来られたわけですけれども、そんなことは決してなくてですね、まさにこの技術を糧にして、そして世界に冠たる製品を送り出してきていただいた、まさに三条、県央地域の皆さま方の努力の結晶というものが日本を築いてきたということだと思ってます。ノーベル賞を受賞された鈴木教授が言われてました。日本を支えていくためには技術、知恵、これがあればいいんです。まさにそういうことだと思ってます。

三条商工会議所がですね、この豊かな日本をつくってきていただいたなかで、本当に大きな役割を果たしていただいたことに心より感謝を申し上げるとともに、これからも10年、20年、また地域を、そしてまた新潟県を、日本を引っ張っていただきたいとお願い申し上げるしだいです。三条商工会議所のますますの発展と会員企業の皆さまのご発展、心より祈念申し上げます。そして県としてはできることを精いっぱいやっていくことをお誓いをいたしまして私のお祝いのごあいさつとさせていただきます。