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燕市のアマチュア写真家、捧武さん死去 (2010.12.20)

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第2回林忠彦賞受賞のアマチュア写真家、捧武さん=燕市中央通4=が20日、自宅で亡くなった。77歳だった。心不全が原因と思われる。

ことし6月6日に燕市産業史料館で開かれた捧武写真展の作品解説会のときの捧さん、肩からカメラを下げて開設する

ことし6月6日に燕市産業史料館で開かれた捧武写真展の作品解説会のときの捧さん、肩からカメラを下げて開設する

ケンオー・ドットコムが撮った捧武さん

捧さんは2年ほど前から人工透析で病院へ通っている。近所の離れで寝泊まりしていて、病院へ行くために毎朝、8時半ごろに家族のもとを訪れているが、この日は8時半を過ぎても来ない捧さんを家族が心配して離れへ見に行くと、すでに心停止状態だった。

7月3日のPHOTO風音写真展での捧さん

7月3日のPHOTO風音写真展での捧さん

捧さんは救急車で病院へ搬送され、心臓マッサージを受けたが、息を吹き返すことはなかった。前日もとくに変わったようすはなかった。心臓も悪く、しばらく前から医師に検査を受けるよう勧められており、心不全が原因と思われる。

1月4日から31日まで富士フォトギャラリー新潟=新潟市中央区紫竹山2=で開かれる秋山庄太郎写真芸術協会会員展<新潟巡回展>捧武「かやぶきと生きる」に向けてモノクロフィルムのプリントに励んでいたところだった。

22日午後7時からVIPシティホール燕で通夜、23日午前10時半から同所で告別式が行われる。

捧武さん略歴
1933年 新潟県燕市に生まれる
1955年 写真に強いあこがれを抱き、田園の風土を撮り始める。
1958年 「新潟県アマチュア写真」が発足、以後30年間にわたり事務局を努める。
1964年 県展奨励賞、以後4回受賞。
1972年 毎日新聞の「芭蕉の旅」欄の写真制作を担当。
1973年 最後の越後瞽女の撮影を始める。
1974年 『週刊大衆』史上最大のゼネストのグラビア撮影。
1982年 新潟二科入賞、以後3回入賞。
1992年 燕市総合文化センターで初の個展開催、写真集『田園の微笑』刊行。
1993年 写真集『田園の微笑』が第2回林忠彦賞を受賞し、東京銀座で作品展を開催。
1995年 写真では師匠格だった故大久保英夫氏の遺作フィルムから写真パネルを制作、燕市内で大久保英夫遺作展を開く。『大久保英夫写真集』刊行。
1999年 写真集『電鉄浪漫』刊行。地元の写真グループ「PHOTO風音』を結成、会長に就く。
2003年 秋山庄太郎氏の監修で写真集『かやぶきと生きる』を刊行。あわせて写真展を開催。
2009年 燕市産業史料館にて個展を開催。