三条昭栄通り商店街が大震災被災地の陸前高田市に三条夏まつり・夜店市で販売した「三陸産秋刀魚浜焼き」の売り上げなど義援金4.1万円を届ける (2011.10.5)

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三条昭栄通り商店街(箕輪勲男会長)は9月14日、7・13水害の感謝メッセージが縁となった岩手県陸前高田市に三条夏まつり・夜店市で販売した「三陸産秋刀魚浜焼き」の売り上げを東日本大震災の義援金として届けた。

三条昭栄通り商店街からの義援金を陸前高田市の戸羽市長(左)に手渡す箕輪会長(右)
三条昭栄通り商店街からの義援金を陸前高田市の戸羽市長(左)に手渡す箕輪会長(右)

ことしの三条夏まつりの夜店市で、岩手県からサンマ200匹を仕入れて、売上を義援金にとして1匹200円で販売。その売り上げ4万円と市民から預かった千円の計4万1,000円を義援金として陸前高田市に、また、来年の開花を楽しみに希望をもって育ててほしいとしてチューリップの球根1,000個を同市の仮設住宅に届けた。

同日は、箕輪会長はじめ同商店街役員の計4人が車で陸前高田市を訪れた。津波被害で5階建ての市役所が使えなくなったとのことで、プレハブ3階建ての仮庁舎で箕輪会長から戸羽市長に義援金を手渡した。

一行は市役所と仮設住宅と2班に分かれて行動し、もう一班は168棟の仮設住宅が建つ「モビリアキャンプ場」にチューリップの球根を届けるとともに、マジックショーの慰問も行った。

陸前高田市で撮影した写真を前に被災地のようすを話す箕輪会長
陸前高田市で撮影した写真を前に被災地のようすを話す箕輪会長

箕輪会長によると、戸羽太市長にとても感謝されたと言う。懇談では、「陸前高田市は水産業や商店街を中心に街づくりを進めてきたので、復興に向けた打つ手がない状況。市行政の力で何とかせえと言われてもできるレベルではない」と被害の大きさといまだ見通しの立たない復興の現状も伝わった。

さらに、市職員も105人が死亡したこと、市民128人がいまだ行方不明で一日も早く探し出したいとも。また、戸羽市長は青年会議所に所属していたことがあり、「燕三条青年会議所」と交流があったようだ。箕輪会長は、「戸羽市長は、若く、復興への強い意気込みが感じられた。直接お会いできてよかった」と感想を話した。

また、高台から降りて市内を移動したときに見た光景について箕輪会長は、住宅地や商店街が津波の被害に遭い海までを一望できた。「本当にテレビの映像とそっくり。津波の恐ろしさ、自然の威力をまざまざと見せつけられたよう」、「高台とは空気感が変わった」と、発災から半年以上が経っても強烈な印象を受けた。

4階までガラス窓が割られた建物
4階までガラス窓が割られた建物

その中を車で移動しただけだったが、そこにあったと思われる商店街や住宅など建物の基礎が残っているところもあれば、基礎や土台もねこそぎ津波にもって行かれたような場所、草と海水の水たまりしかないところも。鉄骨の建物だけがあったかと思うと5階建ての建物の4階までガラスがなく空洞のようになっていた。

また、「見当がつかないくらい」というほど多数の自動車が積み上げられたところがあり、塩水につかったと思われる自動車は、さびが出るなど腐食が進み、復旧復興の進捗とは別に確実に時間が経過していることを物語っていたようだ。さらに、ここ数日のニュースでも処理について問題視されている大きながれきの山がいくつもあった。その高さはビルの4、5階の高さはありそうで、町のなかは、大型ダンプカーが走り、建物を取り壊している重機が動いていた。

海沿いは地盤沈下で、ホテルなどたくさんの建物が海につかって建っている不思議な光景も広がる。そんななかだが、戸羽市長や今回の訪問で会った同市民の決意を聞いた箕輪会長は、「一日も早い復興を国の支援や行政の支援を待たずに、自らの力で這い上がってくる強い生き様を感じた。間違いなく復興すると感じた」と話していた。

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