【小耳聞き耳】冬がこんなに暖かくなるとは思ってもみなかった (2012.2.5)

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冬がこんなに暖かくなるとは思ってもみなかった。この寒波の最中に何を馬鹿なことをという言う人もいるだろうが、血迷ったわけではない。ずっと昔、子どものころと比べての話しだ。

雪遊びを満喫できるスノーピーク本社キャンプフィールド
雪遊びを満喫できるスノーピーク本社キャンプフィールド

小学生のころ、良くスキーに出掛けた。ちょっと脱線するが、ある日はスキーへ行くために早朝、まだ外が暗いうちに親の知り合いの家へ行き、いろりのあるような茶の間で出発を待つ間、テレビで緊急ニュースが流れた。生中継だったような気がする。あさま山荘事件の始まりだった。衝撃的なニュースに頭のなかはスキーどころではなくなり、後ろ髪を引かれる思いでスキー場へ出掛けたのを思い出す。

年齢がばれるが、それはともかく、そんな遠い昔の話だ。当時は防寒着といってもヤッケくらいだっただろうか。せいぜい、その下にシャツやセーターを重ね着したり、ももひきをはいたりといったていどか。もちろんダウンジャケットなど存在せず、防寒着には綿すら入ってなかった気がする。

それでも滑っているときは体を動かすので暖かくなるが、リフトが恐怖。ちょっと吹雪になるとリフトが良く止まった。汗でもかいていようものなら、その寒さはバラエティー番組の罰ゲームどころではない。たった一人で高いところに取り残され、前後のリフトに乗る人も見えなくなるほどの吹雪になると、精神的にも追い詰められ、泣きたいほどの心細さを味わった。

そうでなくとも、雪が降れば親に家の前の雪かきをさせられた。つるはしのようなもので、道路を覆った厚い氷を割って除雪した記憶もある。ただでさえこんな寒い雪国に暮らしながら、何を好きこのんでもっと寒い所へ行かなければならないのかと、こりごりして中学生でスキーをやめた。冬が暖かいというのは、そんな時代との比較だ。

ダウンジャケットの登場は画期的だった。それまでの防寒着の暖かさとは異次元。30年余り前、折からのスキーブームにも乗って一気に普及した。流行に疎いので覚えていないが、みんな申し合わせたように胸に鳥かなんかのマークが入った白いダウンジャケットを着ていた。スキーしようがしまいが、東京の町はそのダウンジャケットを着た大学生がうじゃうじゃいた。

当時のダウンジャケットの価格は実に数万円。学生には清水の舞台から飛び降りるくらいの覚悟が必要な高価なものだった。それが今や日常的な衣料品。1万円も出せばそれなりのダウンジャケットが手に入る。下は数千円からだってある。

それに拍車をかけたユニクロ。安くて軽くて暖かいと何拍子もそろったフリースの爆発的な流行を生み、ヒートテックをはじめ保温性を高めた商品を格安で提供。商業的なニーズや技術開発が進み、格安で頭の先からつま先まで完全防寒装備でかためられるようになった。新潟の寒さなんか、へのかっぱ。ちっとも寒くなく、外でもぽっかぽかで過ごせる。

そのありがたみを実感したのが、スノーピーク本社キャンプフィールドでの雪上での遊びの数々だ。完全防寒でぽっかぽかで味わうスノーモービルをはじめとした雪遊びは格別。雪原のパラダイスだ。「雪=寒い」という呪縛から解き放たれ、久しぶりに雪国で暮らす喜びを感じさせてくれた。寒いからと雪を避けてきたご同輩、ぜひ、防寒対策を施して雪の中へ飛び出してみてほしい。新しい何かが見つかるかも。


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