藤井大輔&芳輔の鉄道コラム「鐵道双見」
4月20日の燕駅開設90周年とかけて鉄道ファンには思い入れの深いキーワード、伝統と格式のある「つばめ」をひもとく (2012.4.18)

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1930年に鉄道省が東海道本線・東京−神戸間で特急列車「燕」が運行開始、「超特急」とも

鉄道ファンにとって「つばめ」というキーワードは思い入れの深いキーワートのひとつである。

4月20日の燕駅開設90周年とかけて鉄道ファンには思い入れの深いキーワード「つばめ」をひもとく
4月20日の燕駅開設90周年とかけて鉄道ファンには思い入れの深いキーワード

1930年10月、鉄道省(国鉄)は東海道本線・東京−神戸間に新しい特急列車「燕」の運行を始めた。前年に名前(正式には愛称)が付いた東海道本線の特急「富士」、「櫻」に続く3番目に名前が付く特急列車となった。なにより、先行した2つの特急列車よりスピードが速く、東京−大阪間を8時間20分(「富士」は10時間40分)で結んだ。

そのため、途中駅での蒸気機関車交換、給水時間などを短縮するため、峠越えに連結された蒸気機関車を走行したまま切り離したり、運転士が走行中に連結している客車と機関車の間を連結棒づたいに交代したりと、現在では考えにくいことまでしてスピードアップを図り、「超特急」と呼ばれた。

1934年12月に丹那トンネルが開通し、それまでの御殿場回りから熱海回りに距離が短縮され、東京−大阪間は8時間に短縮された。まさに、戦前の鉄道を代表する列車が超特急「燕」だった。

1943年に戦局の悪化により超特急「燕」は姿を消してしまった。

戦後の特急「へいわ」が「つばめ」に改称

戦後、1949年9月のダイヤ改正で特急「へいわ」が東京−大阪間で運行を始めた。この列車は翌年元日に「つばめ」に変更され、戦前の最短時間8時間には及ばなかったものの、9時間で東京−大阪間を結び、食堂車、展望車が連結された。戦後も、特急「つばめ」は国鉄を代表する特急列車として東海道本線に君臨することになった。

梅小路公園の「つばめ」
京都・梅小路公園にある「つばめ」

1950年10月のダイヤ改正で「つばめ」は戦前と同様に東京−大阪間を8時間で結ぶようになり、日本最大の旅客用蒸気機関車「C62」が浜松−大阪間で「つばめ」を牽引していた。そのC62蒸気機関車のうち2号機、18号機にはつばめマークが取り付けられていた。特に2号機はスワローエンゼルと愛称され、引退後、他線区に渡っても長く親しまれた(現在は京都の梅小路蒸気機関車館にて動態保存されている)。

プロ野球球団に特急「つばめ」に由来する「国鉄スワローズ」誕生

一方、1949年は国鉄にとって労使関係の悪化など、公共企業体(公社)となったものの前途多難を思わせる年だった。そこで、国鉄職員の団結と意志発揚を目的としてプロ野球球団の設立が発案された。プロ野球がリーグ拡張方針による球団乱立から国鉄の各野球部から選手が引き抜かれる事態が起きたり、当時の国鉄総裁が野球好きだったこともプロ野球参入の要因となった。

しかし、国鉄がプロ野球球団を持つことは法律上できなかったため、国鉄の外郭団体が「株式会社国鉄球団」を設立して、球団名を「国鉄スワローズ」とした。いわずもがな、球団名のスワローズは戦前からの代表的特急列車「つばめ」に由来する。さらに、国鉄は同年、シンボルマークとして「つばめ」が飛ぶ姿と動輪の組み合わせのマークが採用された。

大阪の交通科学館で撮影した国鉄バスについているエンブレム
大阪の交通科学館で撮影した国鉄バスについているエンブレム

国鉄球団、シンボルマーク、まさに「つばめ」は国鉄を代表するキーワードとなった。

国鉄スワローズは、400勝投手金田正一の活躍こそあったが、常にBクラスが定位置で、1961年3位が最高で、1963年の三河島事故や1964年度以降から国鉄経営が赤字に転落したこともあり、1965年に国鉄スワローズは産経新聞・フジテレビ・ニッポン放送・文化放送が親会社となり、サンケイスワローズとなった。翌年にはサンケイアトムズと球団名が変更され「スワローズ」の名は消えた。

最近はスワローズといえば燕市、昨年秋に田んぼアートに収穫に訪れた東京ヤクルトスワローズのマスコットキャラクター、つば九郎
最近はスワローズといえば燕市、昨年秋に田んぼアートに収穫に訪れた東京ヤクルトスワローズのマスコットキャラクター、つば九郎

サンケイアトムズは1970年にヤクルトが親会社となりヤクルトアトムズに変わった。プロ野球からスワローズが消えて9年後の1974年シーズンからヤクルトは「ヤクルトスワローズ」に変更され、再びスワローズの名が戻った(2006年には「東京ヤクルトスワローズ」となった)。

1975年、山陽新幹線の博多開業でその名に釣り合う格式の列車がないと「つばめ」の歴史に幕

ここで、鉄道の「つばめ」に話を戻そう。

特急「つばめ」は1956年の東海道本線全線電化で、全区間で電気機関車が牽引するようになり東京−大阪間は7時間30分に短縮されたが、1958年に電車特急「こだま」が登場すると、車輛設備面での老朽から1960年6月に特急「こだま」と同じ151系電車に切り替えられた。

151系電車は、国鉄時代を代表する特急用に開発された直流電車で、勾配がきつい上越線用に151系電車を改良した181系電車は特急「とき」に1961年から1982年まで用いられた。

1962年6月、上越線に特急「とき」がデビューしたダイヤ改正で、「つばめ」が広島まで延長(1往復)された。上りの東京行「つばめ」では瀬野−八本松間の急勾配に対応するため、広島から編成後部に電気機関車(EF61)を連結し八本松附近を走行中に切り離すという、戦前の超特急「燕」を彷彿とさせた。

1964年10月1日に東海道新幹線が開業すると、東海道本線の長距離昼行特急列車は全廃され、「つばめ」も活躍の場を西に転じ、新大阪−博多間に運行区間を変更し、九州に乗り入れるようになった。翌年には名古屋−熊本間に運行区間を延長したが、1972年の山陽新幹線岡山開業により、名古屋−岡山間を廃止して、岡山発着に変更された。さらに、翌年に熊本から西鹿児島(現在の鹿児島中央)に運行区間が延長された。

しかし、1975年3月に山陽新幹線が博多開業を迎えると、「つばめ」は国鉄特急から名を消すことになった。戦前から続く文字通り「特別な急行列車」であり、「この名称に釣り合うだけの格式のある列車がない」という理由によって継承される列車はなく、「つばめ」の歴史はここで幕を下ろすことになった。

1987年に国鉄は分割民営化され、JRグループに再編された。それでも、国鉄のシンボルマークだった「つばめ」マークは、鉄道の場から姿を大きく消したものの、国鉄バスを継承したJRバス各社のエンブレムに残っている。

1992年に九州で「つばめ」が蘇る

1992年7月、廃止直前の「つばめ」が活躍した九州の地で「つばめ」の名が甦った。JR九州が鹿児島本線の門司港・博多−西鹿児島間の特急「有明」を「つばめ」と改称して、JR九州初の特急車輛・783系電車よりもグレードが高い787系電車を投入した。この「つばめ」復活に際して、JR九州は「つばめ」の名を使用することをJRグループ各社に内々に了承を取り付けたという逸話も残っている。それほど「つばめ」の名は国鉄・JRにとって特別な存在なのである。

この「つばめ」は、グリーン車に個室、ビュッフェを連結し、「つばめレディ」を乗務させるなど、サービスクオリティの高い列車であり、ビュッフェはJRの特急列車ではこの「つばめ」以外に存在していない。

燕駅にあった21日からの弥彦線吉田〜燕間開通90周年記念入場券発売の告知
燕駅にあった21日からの弥彦線吉田〜燕間開通90周年記念入場券発売の告知

2004年3月に、九州新幹線が新八代−鹿児島中央間で開業すると、鹿児島本線の特急「つばめ」は九州新幹線の列車名となり、門司港−新八代間は特急「リレーつばめ」に改称し、新八代駅で新在同一ホームで「つばめ」と「リレーつばめ」を乗り換えることができた。

九州新幹線「つばめ」は、新しく開発された800系電車が用いられ、座席には西陣織、ロールブラインドや座席の肘掛けなどは木製で、これまでの新幹線車輛とは趣が異なっているのが最大の特徴でもある。

2011年3月12日に九州新幹線が全線開業し、「つばめ」は博多−鹿児島中央間の列車となった。

日本の新幹線は、東海道・山陽に「のぞみ」「ひかり」「こだま」、山陽・九州に「みずほ」「さくら」、九州に「つばめ」、東北・秋田・山形に「はやぶさ」「はやて」「やまびこ」「なすの」、「こまち」(秋田)、「つばさ」(山形)、上越に「とき」「たにがわ」、長野に「あさま」とあり、鳥の名が使われていることが多い。その中でも「つばめ」は戦前から国鉄で活躍する伝統ある名前で、今でもその伝統と格式はJRの新幹線ネットワークの中で受け継がれている。

(文・藤井大輔)

参考文献:トレたび


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