藤井大輔&芳輔の鉄道コラム「鐵道双見」
6月10日で東京−新潟間での特急「とき」誕生からちょうど50年、新幹線がその名を引き継いでいったん絶滅したものの復活 (2012.6.9)

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佐渡に羽ばたくトキと鉄道の浅からぬ縁、50年前の1962年に上野−新潟で特急「とき」がデビュー

自然放鳥のトキ(朱鷺)のつがいからヒナが誕生し巣立ちにも沸く佐渡ヶ島。巣立った幼いトキに猫が近づくだけでニュースになるほどの人気者である。国内のトキは167羽(4月20日現在)で、環境省は絶滅のおそれがある野生生物をまとめたレッドリストでのトキの分類を、現在の「野生では絶滅した種」から、絶滅の危険度が1ランク低い「絶滅危惧種」への変更を検討するほどまでになった。

国鉄 キハ82系特急「おおとり」

2010年1月、三条市保内地区で読者撮影のトキ

この佐渡に羽ばたくトキと鉄道も浅からぬ縁がある。

今からちょうど50年前の1962年(昭和37年)6月10日、国鉄は東京の上野と新潟の間に特別急行列車の運行を始めた。その特別急行列車の名は「とき」。つまり、特急「とき」がデビューして50年の節目を迎えたのである。

今や、特急列車は通勤や通学にも利用する身近な列車となっている。しかし、50年前は文字通り「特別な急行列車」だった。東京と新潟を結ぶ急行列車は戦前、1931年9月に上越線が全通したときから運行されていた(戦時中は運行を中断した)。戦後、極端に不足した石炭事情から、高崎‐水上間、越後湯沢‐長岡間の突貫で電化工事が進められ(山岳路線で石炭の使用費が多かったためと思われる)、1947年10月に高崎‐長岡間が電化され、1952年4月には上野−高崎間も電化が完了して上野から長岡まで電気機関車が牽引するようになった。

1952年に東京と新潟を結ぶ列車の愛称第1号、急行「越路」が誕生

そして、1952年10月1日のダイヤ改正で、国鉄は上野−新潟間の急行列車に「越路」という愛称をつけた。これが、東京と新潟を結ぶ列車の愛称第1号だった。1956年には急行「佐渡」、1958年には準急「越後」と次々に運行を開始した。

一方、そのころの「特別急行列車」は、当時の表日本側の東海道本線・山陽本線で運行されるのが専らで、準急「越後」が登場した1958年10月のダイヤ改正で特急「はつかり」が上野と青森の間(常磐線経由)で運行を始めたのが東京以北では初めての特別急行列車である。まだ、「裏日本」と呼ばれた日本海側には特急列車は運行されていなかった。

1961年にキハ80系ディーゼルカーが大阪−青森で日本海側を結ぶ初の特急列車「白鳥」を運行開始

1961年にキハ80系ディーゼルカーによって、大阪から青森まで日本海側を結ぶ初めての特急列車「白鳥」が運行を開始した。これが新潟県内を走る初めての特急列車だった。

 国鉄 キハ82系特急「おおとり」(運行開始時の特急「白鳥」でもこの車輛だった)

国鉄 キハ82系特急「おおとり」(運行開始時の特急「白鳥」でもこの車輛だった)

特急「白鳥」は、大阪から直江津で信越本線に入り長野経由で上野に向かう編成と直江津からそのまま青森に向け北上する編成が併結して運行され、それぞれの編成に食堂車がつく文字通り「特別な急行列車」だった。運行開始時の「白鳥」の新潟県内での停車駅は直江津駅、長岡駅、新津駅で、新津からは新潟駅に回らず、水原経由の羽越本線で庄内に向かった。特急「白鳥」は2001年3月に廃止された。

その1年後、信越本線の長岡−新潟間の電化工事が進み、上野と新潟を結ぶ特別急行列車が運行されることが決まった。当然の流れとして、この特別急行列車にも愛称がつけられることになった。ここで、なんと国鉄本社の営業局と国鉄新潟支社の間で愛称をめぐって対立を生んでしまった。

特急列車の名称をめぐる対立、国鉄の本社営業局が新潟支社を押し切って「とき」に決定

それまで国鉄の特別急行列車には、「つばめ」、「はと」など鳥の名がつけられことがほとんどで、上野−新潟間での特別急行列車にも鳥の名がつけられるのがなかば暗黙の了解だった。国鉄本社営業局は「とき(朱鷺)」を、国鉄新潟支社は「はくたか」を愛称に推挙したのである。本社営業局は「はくたか」は「日本酒の銘柄のような愛称だ」と受け入れず、一方の国鉄新潟支社は「ときは滅びゆく鳥」で猛烈に反対した。

結局、国鉄本社営業局の意見を押し切る形で、上野−新潟間の特別急行列車は「とき」という愛称になった。当時の本社営業局は、以下の3点を理由に新潟支社の反対を押し切った。

  1. ゅうの「とき」
  2. 運行開始の6月10日は「時の記念日」
  3. 電車の特別急行列車では10番目の特別急行列車になること
国鉄151系

国鉄151系

そして、今から50年前の1962年6月10日、東海道本線の特別急行列車「こだま」などで運行されていた151系電車を山岳路線用に改良した161系電車の特別急行列車「とき」が上野と新潟の間で運行を開始した。上野−新潟間は4時間40分で結ばれ、それまでの急行列車より大幅な時間短縮となった。なお、この運行開始時は、上野発「1M」、新潟発「2M」という列車番号が与えられた。

日本の鉄道ではどんな列車でも数字と英字を組み合わせた列車番号で区別される。例えば、東京発博多行の「のぞみ1号」は「1A」、上野発札幌行の寝台特急「北斗星」は「1レ」、山手線外回りの最終電車は「2329G」というふうに、どんな列車にも番号が振られている。そのなか特別な列車はケタ数が少ない。

国鉄の場合は伝統ある特別急行列車がたいてい1けたの数字だった。上越線初の特別急行列車である「とき」には「1M」・「2M」という特別な番号が振られた。この時の停車駅は、高崎、長岡、新津の3駅で、文字通り特別な急行列車だったのである。今の新幹線や特急のような自由席はなく、全席が指定席で、グリーン車が2輛、食堂車が1輛連結された9輛編成だった。

1965年から高度成長期へかけて次々と特急「とき」を増発、上越新幹線開業で新幹線がその名を引き継ぐ

特別急行列車「とき」は新潟地震の翌年1965年に2往復に増発され、1966年にはもう1往復が増発され3往復となった。ちょうど、東三条駅に特別急行列車「とき」が停車するのもこの時である。

高度経済成長により、急行列車よりも特別急行列車が嗜好される時代の始まりを迎え、1978年には14往復と国鉄の特別急行列車の中でも大所帯の本数となるほどまで利用された。もう、「特別な急行列車」という存在ではなく、「特に急ぐ列車」特急となったのもこのころとみてよい。

183系によるリバイバル特急「とき」

183系によるリバイバル特急「とき」

これより先の1973年には、161系電車を改造した181系電車の雪への備えが弱いことが指摘されて、183系1000番台電車が特急「とき」でも運用されるようになった。

1982年11月14日、翌日に上越新幹線の開業を控え、在来線の特急「とき」は20年の歴史に幕を閉じ、上越新幹線に託すことになった。なお、国鉄新潟鉄道管理局は、新潟市内に181系電車1輛を保存しておくこととし、雨雪をしのぐ屋根付きの保存場所で静かに保存された。

97年の長野行新幹線開業に伴う列車の愛称整理で「とき」は日本最後のトキ「キン」のようにひっそり姿を消すも2002年に舞い戻る

特急「とき」の名は、上越新幹線の各駅停車列車の愛称に引き継がれ、アイボリーにグリーンラインの車体もまぶしい新幹線200系電車が「あさひ」とともに大宮−新潟間で運行を始めた。

1987年の国鉄改革によるJR東日本の発足で、上越新幹線はJR東日本が運行することになり、「あさひ」「とき」はそのままJR東日本にも引き継がれた。

このまま東京と新潟を結ぶ列車の愛称として活躍を続けるかに思われたが、長野行新幹線(北陸新幹線)・高崎−長野間が1997年10月1日に開業することになり、JR東日本は新幹線列車の愛称を整理することにし、東京−新潟間の列車を「あさひ」に統一し、東京−越後湯沢間の列車を「たにがわ」と区別することにした。9月30日、お別れの式典もなくひっそりと「とき」は日本の鉄道から姿を消した。まるで、日本最後のトキとよばれた「キン」のようである。

しかし、2002年12月に「あさひ」を「とき」に改称することで、上越新幹線・東京−新潟間に「とき」が文字通り舞い戻ってきた。

そして、新潟の地で大切に保存されてきた181系電車1輛は、今、さいたま市大宮区の鉄道博物館で展示され、往年の姿を楽しむことができる。

 181系「とき」

181系「とき」藤井大輔撮影(2007/10/14撮影)

 181系「とき」

181系「とき」藤井大輔撮影(2007/10/14撮影)

今年11月15日には上越新幹線開業30年の節目を迎える。その前に50年前、上越線にデビューした在来線の特別急行列車「とき」が新幹線開業までの20年間、雪と闘いながら、上野と新潟の間を結ぶ重責に活躍していたことを多くの方々に知っていただき、少しでも興味を持っていただければ、この上ない喜びである。

【主要参考文献】『新幹線あさひ&上越特急とき+JR東日本の新幹線電車』(イカロスMOOK―名列車列伝シリーズ)  

(藤井大輔)

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