福井旧庄屋佐藤家で展示「戦後70年 村に残された戦争の足跡」、第2次大戦の記憶をとどめる約200点 (2015.8.9)

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新潟市西蒲区の旧巻町・福井集落に江戸時代から建つかやぶきの古民家「福井旧庄屋佐藤家」で、9日から23日まで「戦後70年 村に残された戦争の足跡」として地元に残る第2次大戦の記憶を伝える写真や物品など約200点を展示する。

9日から福井旧庄屋佐藤家で開かれる「戦後70年 村に残された戦争の足跡」の展示
9日から福井旧庄屋佐藤家で開かれる「戦後70年 村に残された戦争の足跡」の展示

NPO法人福井旧庄屋佐藤家保存会が主催する。写真は保存会会長で郷土史研究家、写真家の斉藤文夫さん(82)が、編集者のひとりとしてかかわって昭和51年(1976)に発行された巻町双書第24集郷土アルバム『わが町 明治 大正 昭和』に収載した写真が中心。斉藤さんが師と仰ぐ巻郷土資料館長だった石山与吾栄門さんらとともに昭和47年(1972)から地元で写真を収集し、掲載した約300枚を超す写真のなかから戦争にかかわるものを中心に展示する。

主催するNPO法人福井旧庄屋佐藤家保存会会長で展示している写真の多くを収集した斉藤文夫さん
主催するNPO法人福井旧庄屋佐藤家保存会会長で展示している写真の多くを収集した斉藤文夫さん
 斉藤さんが編集者のひとりとしてかかわって昭和51年に発行された巻町双書第24集郷土アルバム『わが町 明治 大正 昭和』
斉藤さんが編集者のひとりとしてかかわって昭和51年に発行された巻町双書第24集郷土アルバム『わが町 明治 大正 昭和』

斉藤さんが生まれた福井の集落には戦時中、100戸があり、19人が戦死した。斉藤さんは男4人、女3人の7人きょうだいで、3人の兄がすべて出征し、20歳上の兄、清さんだけが昭和17年(1942)12月15日に米国との激戦地となったガダルカナル島で戦死した。福井集落の戦死者の肖像を展示しているなかに清さんの写真もある。

展示しているガダルカナルで戦死した斉藤さんの兄、清さんの肖像
展示しているガダルカナルで戦死した斉藤さんの兄、清さんの肖像
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竹野町・金仙寺の釣り鐘の供出

あわせて父が清さんの戦死を知らせるために出したはがき、戦死から20年以上たった昭和40年に受けた勲八等白色桐葉章も展示する。

昭和13年(1938)に福井舟山神社で撮影された漢口陥落提灯行列の万歳、同年に福井隆祟寺で行われた南京陥落の祝賀会の記念写真、西蒲原郡在郷軍人会が海軍に贈った水上偵察機と山本五十六元帥もして鎧潟で行われたその献納式。出征前の記念写真、竹野町・金仙寺の釣り鐘の供出、ケヤキの供出、アラスカ州のアッツ島で戦死した兵士と残された妻と3人の子ども、銃後の勤労奉仕や国防婦人会の慰問袋の回収、竹やり刺突訓練、集団疎開の学童など。東京駅前で撮影されたという戦死者の遺骨を抱えた人の行列の写真もある。

 玄関の展示はまるで戦地がら軍人が帰ってきたかのよう
玄関の展示はまるで戦地がら軍人が帰ってきたかのよう
 軍の飯ごうや水筒、ヘルメットなどの展示
軍の飯ごうや水筒、ヘルメットなどの展示

物品は、予科練の制服や軍服、兵士のヘルメットや飯ごう、足のすねの付近に巻くゲートル、防毒マスクとその説明書、そして出征ののぼり旗、日の丸の寄せ書きなどを展示する。

畳2枚分のスペースに空襲警報が出たころの茶の間を再現したコーナーを設けた。当時のちゃぶ台、米びつ、ラジオ、掛け時計などを並べ、子ども茶わんに「愛国行進曲」の歌詞と譜面まで書いてあり、当時の非常用缶詰めの代用品、防衛食容器もある。ほかに戦争関連の書籍や当時、記された日記も。

空襲警報が発令された当時の茶の間のようすを再現したコーナー
空襲警報が発令された当時の茶の間のようすを再現したコーナー
「愛国行進曲」が書かれた子ども茶わん
「愛国行進曲」が書かれた子ども茶わん

「最初で最後の展示になるでしょう」と斉藤さんは話す。佐藤家の保存を始めたころに出征ののぼり旗や寄せ書きの寄付を受けた。毎週のように佐藤家に集まる若者から、これを使って何かできないかと言われていた。「戦後70年の記念すべき年。かねがね何かしたいと思っていた」と、展示を計画した。

すでに収集してある写真の展示だけなら簡単だが、「写真だけでは当時の人たちの気持ちを伝えきれない。戦地からの手紙や当時の日記も展示しようと。それらが重なって今回の展示になる」と。

予科練の制服
予科練の制服

終戦を11歳で迎えた。このところ続いているようなうだるように暑い日だった。マツの幹に傷をつけていると、電気店の人からこれから重大な放送があると聞き、ラジオで玉音放送を聞いた。天皇の声は聞き取りにくく、言葉も難しくておとなでも何を言っているのか理解できなかった。2、3日たってから、戦争に負けたことがわかってきた。

「力ががたんと落ちた気がした。軍国少年だったから」。昔の遊びは戦争ごっこ。どの家も床の間などいちばんいい場所に天皇のご真影を飾り、小学校では正門の入り口の右に天皇のご真影があり、最敬礼してから学校に入ったことを今でもはっきり覚えている。

出征で日の丸に寄せ書き
出征で日の丸に寄せ書き
第2次大戦に関する書籍
第2次大戦に関する書籍

安全保障関連法案が衆院を通過したことには「非戦平和をなしくずしにするもの」。「思想を規制し、特高警察みたいなものがあらわれるのかも。もしかしたらすでに今もあるのか」と、今の政治は戦争に向かっている流れと危惧する。「太平洋戦争は、日本人が大きな禍根を残す時代だった。そのことを検証できる機会になれば」と斉藤さんは願っている。

毎日午前9時から午後4時まで開く。入場無料。9日と16日はいずれも午前10時からと午後2時からの2回、各回定員20人で展示品の解説を行う。問い合わせは斉藤さん(電話:090-2551-8514)へ。

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