28年後に知る渡辺義雄氏の言葉の裏側 (2018.2.27)

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28日まで三条東公民館で三条市名誉市民で建築写真家だった写真家、渡辺義雄氏(1907-2000)の生誕110周年記念展が開かれている。渡辺氏は1990年、文化功労者に写真家として初めて認定された。その認定の発表があった日に渡辺氏に話を聞いた。

名誉市民渡辺義雄生誕110周年記念展会場の三条東公民館の正面
名誉市民渡辺義雄生誕110周年記念展会場の三条東公民館の正面

そのなかで渡辺氏は「内定の連絡はもらいましたが、特別な感激はありません。写真家では初めてなので断るのもせん越ですし、断って写真家は文化功労者にしないとなったら困りますから」と、芸術としてはあまり日の当たらなかった写真家が文化功労者に選ばれる道をつけたことを喜んだ。

建築写真に没頭するかたわら、写真が芸術として評価されることに誰よりも注力した渡辺氏の言葉として今も印象に残っている。しかしその言葉には裏側があった。なんと渡辺氏の前に文化功労者に推薦された写真家がいたが、辞退したというのだ。

文化勲章も辞退する人があるくらいだから、文化功労者を辞退する人だってあるだろう。写真界初となるはずだった文化功労者も辞退してたとは、今の今まで知らなかった。断っていたのだ。渡辺氏は抽象的な思いを話したのではなく、文化功労者が辞退した写真家がいた事実をベースにした発言であったことを28年たって知ることになるとは、思いもよらなかった。あらためて渡辺氏の人柄に感じ入るとともに、これまで以上に腑に落ちた。

渡辺氏に続いて写真界からの文化功労者は1966年に石元泰博氏、2003年に田沼武能氏、10年に細江英公氏、17年に杉本博司が認定されている。渡辺氏に言葉通りに後進に文化功労者の道が開かれた。

ちなみに渡辺氏が文化功労者に認定された翌年、東京・帝国ホテルで祝う会が開かれた。三条市からも関係者が出席し、古寺秀夫収入役がしこたま飲んで酔っ払い、振る舞いを心配したのを覚えている。酔った勢いもあって関係者からは「三条市でも名誉市民の祝賀会を」「文化会館と一緒に先生の記念館を作ってはどうか」との声もあった。


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