おいらん役が1年前の分水おいらん道中を振り返る【燕・弥彦 ぐるっと探訪】 (2018.4.11)

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燕・弥彦ぐるっと探訪2018年4月15日(日)、燕市分水地区で第76回の分水おいらん道中が行われる。昨年は満開のサクラと好天に恵まれて9万人もの見物客を集めた一大行事だ。正午から地蔵堂本町通り、午後2時から大河津分水桜並木を行列が練り歩き、その中心となるのが3人のおいらん役。公募、審査して信濃太夫、桜太夫、分水太夫の配役が決まる。おいらんの華やかであでやかな衣装にあこがれる女性は多く、ことしも全国から40人の応募があった。

昨年の分水おいらん道中で信濃太夫を務めたのが、会社員の丸山ひとみさん(35)。生まれたときから燕市吉田地区に住み、同い年の夫と6歳の長男がある。昨年の分水おいらん道中からこの1年間をあらためて振り返ってもらった。

昨年の分水おいらん道中でおいらん役「信濃太夫」を務めた丸山さん
昨年の分水おいらん道中でおいらん役「信濃太夫」を務めた丸山さん

“祖父の死後においらん役を目指す”

子どものころに分水おいらん道中を見に行ったことがあるらしいが、丸山さんの記憶にはない。記憶で初めて見に行ったのは、新潟国際情報大学の学生時代に、たまたま友だちと見物に出掛けたときのこと。目の前で優雅に歩を進めるおいらん役に「すっごく華やかできれいで、かっこ良かった。結構、みんな感動してて」と衝撃を受けたが、当時はそれっきりだった。

丸山さんがおいらん役を務める前の年の3月10日、祖父が83歳で亡くなった。祖父は分水おいらん道中が大好きだった。知り合いが出るわけでもないのに毎年、欠かさず友だちと見物に出掛けた。

昨年の分水おいらん道中でおいらん役の先頭を行く丸山さん
昨年の分水おいらん道中でおいらん役の先頭を行く丸山さん

祖父からおいらん役の応募を勧められたことは一度もなかった。丸山さん自身、おいらん役になろうと思ったこともなかったのに「自分でもわかりませんが、おじいちゃんが亡くなってから急に出たくなりました」。なぜそう思うようになったのか、自分でも良くわからない。祖父の分水おいらん道中に対する思いが、まるで丸山さんに乗り移ったかのようだ。

「おじいちゃんは私がおいらん役にならない、なれないと思ったのでしょうか。孫たちのことを自慢するタイプのおじいちゃんだったので、生きていたら私がおいらん役になったことを相当、人に言ってたと思う。子どものころの私は、すごくかわいかったんですけどね」と丸山さんは笑う。

“翌年のおいらん役募集にすぐに応募”

祖父が亡くなった年のおいらん役の公募は、すでに締め切りを過ぎていたが、気持ちは折れなかった。「絶対、来年は落ちてもいいから受けたいと思ってずっとマークしてました」。さっそく分水おいらん道中の歴史を勉強したり、YouTubeで動画を見たりして知識を深め、準備を怠らなかった。年末においらん役の公募が始まるとすぐに申し込み、それでも受け付け順は3番目だった。

おいらん役の二次資産会でおいらん役に決まった3人
おいらん役の二次資産会でおいらん役に決まった3人

書類選考の一次審査会を通り、面接の二次審査会に進んだ。面接は順番が早かったこともあり、「緊張がすごくて、しゃべりたいことの半分もしゃべれなくて終わっちゃいました。もうだめだと思って帰る準備までしてた」。手応えとは裏腹に結果は合格だった。

応募は夫にしか話さなかった。夫に写真を撮ってもらったが、家で写真をプリンターで印刷すると応募が父にばれるので、店へ出掛けてプリントした。「落ちたとき恥ずかしいし、心配かけたくないし、頑張れとか言われても気が重いし、プレッシャーになるし」というわけ。

合格が決まってから両親に報告した。「父はおいらん道中に出るって言ったら、どの付き人だって言ってました」。分水おいらん道中では、おいらん役に付き添う“ほうかん”をはじめ、“手古舞”、“新造”などの付き人も公募する。父は翌日の報道で審査結果を知り、「(父は)これは大変なんじゃない?。それ社長に言った方がいいよとか言って。だから受かったって言ったのにと言ったら、付き人だと思うじゃないかと言われました。伝え方が悪かったのかもしれませんが、父は人の話、聞いてないんです」と笑う。

一方、「だんなは受かるかもしれないなーと恐怖におびえていました。受かったら練習のときは、俺が子どもの面倒を見ないとって」。

“本番に向けてジムに通い、家でもスクワット”

歩き方の練習
歩き方の練習

おいらん役に決まると3回、歩き方の練習日がある。なかでも「外八文字」と呼ばれる腰を落として足を大きく外側へ振り出してゆっくりと前へ運ぶ動作の体への負荷は大きい。1回目の練習日で「これはまずい」と思った丸山さん。体力、筋力をつけなければ歩き切れないとジムへ通い、エアロバイクなどで足腰を鍛え、家でもスクワットを続けた。本番ではかつらと衣装で約20kgをまとう。子どもをおんぶして練習するといいと言われたが、実際に試すと数分で音を上げた。最後まで歩けないのではと怖くなった。母が3月10日の祖父の命日に、無事に丸山さんが歩けるよう祖父に報告し、守ってくれるようお願いした。

本番前日は緊張がピークに達した。けがをして本番で穴を開けるわけにはいかない。外出はリスクがあるからと前日は一歩も家の外へ出ないという徹底ぶり。テレビで分水地区の特集番組が放送され、映像を見ながらそこをおいらんの衣装を着て歩く姿を頭のなかでシミュレーションした。ガラスに姿を映して外八文字を練習し、親にも見てもらって最後の修正も。それでも夜はきちっと眠れ、早く起きて体調万全で本番に臨んだ。

昨年を振り返る丸山さん
昨年を振り返る丸山さん

午前5時に起床した。遅れないように9時半の集合時間よりかなり早く分水地区へ向かった。早く到着しても迷惑だろうとコンビニ駐車場で時間調整して行ったら結局、3人のおいらん役のなかで最後の到着。すぐにかつらや着物の着付けが始まった。

“不安や緊張を3人のおいらん役で励まし合って克服”

「緊張がマックスですよね。なんか手足が冷たくなってましたもん。血流が行ってなかったような」。励ましてくれたのは、ほかのおいらん役だった。「大丈夫ですよ、大丈夫ですよって、年下なのに励ましてくれて。おいらん役になれただけでもうけもんなんで、もう悩んじゃいけませんって言ってくれるんですよ」。

本番までずっと2人のおいらん役に支えられ、3人で乗り越えた。「分水の皆さんは、おいらん道中を大事にしてるじゃないですか。3人で絶対、最後まで歩こうねって約束したんですよ」。3人でLINEのグループをつくって不安を共有し、励まし合った。

分水おいらん道中本番を前に分水駅で臨時列車「えちご分水夜桜号」を鈴木燕市長らとともに迎えた
分水おいらん道中本番を前に分水駅で臨時列車「えちご分水夜桜号」を鈴木燕市長らとともに迎えた

準備が整っていざ外へ出ると、大勢の群衆が目の前に飛び込んだ。いきなり知らない人が隣りに並んで、写真を撮られた。「おいらん役は、こうなるんだと思って。それで少し緊張が解け、みんな待っててくれているんだなと思った」。

練習のときと同じ高さのげたなのに、外へ出ると意外に高いと思った。見物客の頭の上から風景を見通すことができ、「すごく気持ちいい風景」だったが、心配したことは現実になった。

“待っててくれる人のことを思うと足がどんどん前へ”

分水おいらん道中は2回に分けて地蔵堂本町通りと大河分水桜並木を進む。2回ともかつらがだんだん重くなっていき、終盤は体がふらついて進行方向が左へ流れた。「どうしようと心配になりましたが、どうしても歩きたいよなと、その気持ちだけですよね」。

分水福祉会館を出発
分水福祉会館を出発

同行した歩き方の指導者の日本舞踊の花柳寿之柳さんから、何度も大丈夫かと聞かれた。おいらん役は凛として前を見据えて歩くことが求められる。沿道の人たちを見ることも許されない。「うなづいてもいけないので、目で大丈夫と先生に合図しました」。花柳さんは丸山さんが苦しくなっているとわかっても、丸山さんの気持ちを察して止めなかった。丸山さんは3人のおいらん役の先頭。「後ろのふたりも私がだんだんよろめいていると気づいていた」と言う。

終盤、沿道から「頑張れー」の声が聞こえた。絶対に歩き切りたいと思い、その気持ちしかなかった。「いろんなものを背負って歩いている感じじゃないですか。重い着物だけじゃなかったですよ。みんなすごく楽しみに見に来てくれてて、どこで見てもらっているのかわからないし。この先に待っててくれる人がいると思ったら、その気持ちだけで足がどんどん前にいきました」。見物する人たちの思いを受け止め、それが背中を押してくれた。

地蔵堂本町通りを進む
地蔵堂本町通りを進む

両親もリタイアするのではと心配していたが、ついに歩き切った。「すごくすがすがしい気持ち。良かった〜と思って。最後まで歩けて本当に良かった」と当時のほっとした気持ちを思いだす。「でも、終わっちゃったっていうのもあるんですよね。みんなに会えなくなるんだなとか。一緒に過ごしてきたんだよな。ああ、もう終わりなんだよなって。終わってみると早かった」。

“できることならもう一度やり直したい”

関係者にかつらが痛かったからもうやりたくないのではと聞かれた丸山さんは「やりたくないとは思わなかった」。それどころか「できればまたやりたいくらい。あんなにつらそうにしてたくせに何を言ってるんだと思われるでしょうけど、やりたい。もう一度やり直したい、もう一回修正してあのときに戻れたらと思う」と、終わってみればいい思い出しかなく、さらに完成度を上げたおいらん役を再び演じてみたいとさえ思う。

夫の丸山さんを見る目も変わった。応募写真の準備をめぐって夫にしかられたこともあったが、家に帰ると「すごい感動したよママ」と言われた。「あんなにいっぱいの観客のなかで良くやったねと言ってくれた。手のひらを返したように」、「激しく感動してましたね」、「わたしもどうしたんだろういきなりって」と、丸山さんの方が動揺するくらい。おまけに感動したから好きなもの買ってあげると言われ、バッグも買ってもらった。「大勢のなかで歩いてたっていうことをほめてもらえたようです」と言う。

昨年の分水おいらん道中で大河分水桜土手を進む丸山さん
昨年の分水おいらん道中で大河分水桜土手を進む丸山さん

家の近くに張ってあることしの分水おいらん道中のポスターには、昨年のおいらん役3人の写真がデザインされている。長男は「勘違いしてるみたいで、ママおひなさまなんでしょ」と言われるが、「こんな白塗りでもわかるんだなって。ママ、これでしょって」とポスターの中の母を認識している。本番では早く帰りたいとむずかることもあったが、丸山さんが目の前を通ってるときは静かに見ていたと言う。

“地域貢献に目覚める”

丸山さんにも変化があった。二次審査会の面接で地域に貢献しているかと聞かれたが、思い当たるようなことがなく、答えられなかった。「今まで何もしてこなかったけど、おいらん道中に参加させていただいて、これもすごい地域貢献だと思ったし、ここからなんか始めたいと思ったんですね」。

昨年、燕三条青年会議所から燕三条の歌をつくるためのワークショップに参加を求められた。「今までだったら絶対、出ないんです。面倒という気持ちもあったけど、少しでも地域のために役に立つんだったら、じゃあ出ようかって。考え方を変えるように、そういうふうに思えるよになりました」。

ことしの分水おいらん道中のポスターと丸山さん
ことしの分水おいらん道中のポスターと丸山さん

ことしの分水おいらん道中でも昨年のおいらん役として大河津分水さくら公園でパンフレットを配布したり、募金を手伝ったりする。「この時期になるたびに、ずっとあの日を思い出すんでしょうね。ことしも注目してましたもん。新しいおいらん役が決まるんだろうな、どきどきしてるんだろうなとか。ことしもお手伝いに行きますが、これからもずっと分水おいらん道中を見に行きたいと思います」。これから祖父に代わって丸山さんが分水おいらん道中を見守り続ける。

【分水おいらん道中の問い合わせ】

一般社団法人燕市観光協会
住所/〒959-1263 新潟県燕市大曲4336番地(燕市老人集会センター内)
電話/0256-64-7630
FAX/0256-64-7638
HP/https://tsubame-kankou.jp/

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