共和工業創業者の松井恒雄氏が脳梗塞で死去 79歳 (2018.11.8)

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三条市の各種プラスチック成形金型製造、共和工業(株)の創業者の松井恒雄氏=三条市大野畑=が、10月31日午前3時34分、脳梗塞のため亡くなった、79歳だった。

2015年1月15日に寄付のため三条市役所市長室を訪れた松井恒雄さん

松井氏は、1939(昭和14)年3月、三条市島田に4人兄弟の次男として生まれる。県立三条実業高等学校を卒業し、家業の松井度器製作所(現・松井精密工業)を手伝っていたときに父・重太郎さんの勧めで、プラスチック成形金型の勉強のため東京で成形工場に3年ほど勤め、三条に戻り、1963(昭和38)年に金型製作を目的とした共和工業を創業した。

以来、50年以上にわたって、各種金型の設計、製造、販売を通して、合成樹脂製品の開発、普及を行い、国民生活向上の一翼を担ってきた。

2012年2月に資産管理を行う共和工業=三条市上須頃=と金型製造を行う新たな共和工業=三条市直江町4=に分社。新たな共和工業は2014(平成26)年9月三井化学に経営権を譲渡し、松井氏は資産管理会社の社長として、不動産賃貸や太陽光発電の運営などを行っていた。

それを機に、共和を育んでくれた地域社会貢献として、国道289号八十里越沿道の施設整備、実学系ものづくり大学、看護系高等教育機関設置など3つの事業のために5億円を寄付し、さらに翌2016年にも同じく5億円を寄付している。

国定勇人三条市長と歓談する松井恒雄さん
国定勇人三条市長と歓談する松井恒雄さん

長男の義敬氏は、父恒雄氏について以下のように話している。「子どもたちには優しく、自然を愛し、ものづくりが大好きだった。また、すべての物事に対し、妥協無く突き詰める人でした」。

「印象深いこととして、社員全員で行く会社の慰安旅行があります。わたしたち社員は国内はもとより世界中を旅行させてもらいました。また、各地にある会社のリゾートマンションを自由に使うことができ、家族で楽しむことができました。本当に社員を可愛がってくれる社長でした」。

松井氏は、30日朝方、自宅で体調をくずして市内の病院に運ばれた。搬送当時は意識があったが、検査の結果、重い脳梗塞とわかった。一時は病状も安定し、古くからの友人や縁のある人たちがお見舞いに訪れたが、31日午前3時34分、子どもたちをはじめ家族に見守られるなか息をひきとった。

なお、2007年にも脳梗塞を発症していたが、その後は体調管理にも気を配り、元気だったという。

義敬氏は、「亡くなる瞬間まで、生涯現役という親父の生き方を貫き、最後は家族が見守るなか、送られて、幸せだったと思う」と話していた。

葬儀は11月3、4日に家族など近親者で行っており、11月29日午後5時から三条市・VIPシティホール県央で、同社主催の「松井恒雄 お別れ会」を開く。

(坂井)


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