三条市で東日本大震災から8年の黙とうと献花 (2019.3.12)

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東日本大震災から8年を迎えた11日、三条市は三条市総合福祉センターで「東日本大震災 黙とうと献花」を行い、避難者や市民など50人近くが参列し、犠牲者の冥福を祈った。

三条市が東日本大震災の黙とうと献花
三条市が東日本大震災の黙とうと献花

震災発生直後に避難者を受入れた三条市は毎年、当時の避難所でもあった同センターの1階ロビーに献花台を設け、国定勇人市長をはじめ、避難者や三条市民などが参列している。

ことしも地震が発生した時刻と同じ午後2時46分、被災地の方角に向かって黙とうをささげた。避難者代表として佐竹紀さん(79)=福島県南相馬市=、国定市長の献花に続いて、参列者全員が白いキクの花を手向け、手を合わせた。

献花

献花を終えて、中学2年生だった14歳のときに南相馬市から家族で三条市に避難した林雄さん(22)は、「もう8年たったんだ」と振り返った。三条市の第三中学校、新潟県央工業高校、県内の建築関係の専門学校を卒業。現在は、市内の美容室に勤務しながら、美容師の資格取得を目指して勉強している。

高校受験のときに、以前から行きたいと思っていた福島の高校を受験するか悩んだが、中学生から8年を新潟で過ごし、「ここで仕事をして、もう落ち着いている」、「帰りたいという感じはしない」。車の免許もとったので、いずれ行けたらとも話したが、今は夢の実現に力を注ぐ。

南相馬市出身の佐藤聖之さん(30)は、「身が引き締まります。あのときの気持ちを思い出します」。震災を体験し、「明日は言えなくなるかもしれない」と、それまでは言わなかった母親への感謝の気持ちも「ありがとう」と言葉にするようにした。両親らと三条市に避難したあと、1人三条市に住み、三条の女性と結婚し、一児の父となった。8年が経ち、自身も親となり、子どもにも伝えていこうと思っていると話した。

献花

3月6日現在、三条市には31世帯77人が避難している。今後の支援について報道機関のインタビューに応えた国定市長は、毎年、積み重ねていくことのほかないと述べ、「ただわたしたちにできることは最初から変わらず、ひとり残らず再建の道の目途がつくまで、わたしたちは全力で応援しましょうという気持ちを立てたが、その誓いは今でもまったく変わっていません」。できることは限られるとしながら、毎週の庁議で必ず確認していることも話した。

また、8年の間に生活環境が変わり三条市民として生活している人も多いのではとの質問に、「必ずしも故郷に戻るということが生活再建の第一歩だとは思ってはいないわけですが、いずれにしてもお一人おひとり、一家庭一家庭が満足いく形で生活再建を果たすことができたというところまでは、しっかりとサポートしていきたい」と話した。

(坂井)


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