東京五輪カヌースプリント男子カナディアンシングル1000メートルに日本代表で出場した沖縄県出身で三条市スポーツ協会(新潟県三条市)所属の當銘孝仁(とうめ たかのり)選手(28)が16日、三条市の滝沢亮市長を訪問。五輪後の引退を期してのぞんだものの、準々決勝敗退の結果に「不完全燃焼」と悔しさをにじませ、競技の継続、引退は未定としながらも、3年後のパリ五輪を目指して「思い切りトライする」と決意を示した。
當銘選手は、沖縄水産高校時代からカヌースプリント・カナディアン競技で活躍。世界選手権やワールドカップへも転戦し、2016年のリオ五輪では代表にあと一歩まで迫った。それから5年でついに五輪初出場を果たした。
五輪では、5組に分かれて行われた予選の1組で4:37.208のタイムで7人中7位。各組3位以下で3組に分けて行われた準々決勝では3組で4:38.546で7人中7位に終わり、それ以上は進めなかった。
當銘選手は、テーブルに広げた市民が応援の寄せ書きした3枚のメッセージフラッグを前に、滝沢市長に報告した。関係者の支援に感謝する一方、「あまり納得がいかない結果にできず悔しい」と「高校生に僕が学んだことを少し還元できたり、今後もコロナが落ち着いたらどんどんイベントを開催して市民に自分の経験を還元できればと思う」と話した。
競技の継続は「ちょっと考えている」が、「今度、出るからにはメダルに挑戦したい」としつつ、経済的に「今の状況では厳しいところがある。市長はじめ関係者の方にサポートをお願いしたい」、「きれいごとではなく、お金も切っても切り離せないのが現実」と協力を求めた。
滝沢市長は「納得いくようなものでなかったのかもしれないが、ナイスファイトにわたしを含め多く三条市民が感動した」とし、當銘選手が五輪が終わってすぐに子どもたちに経験を教える活動をしていることにふれ、「自分のなかで悔しかったり、咀嚼(そしゃく)しきれない状況と思うが、そうした活動をしてくれることをうれしく思う。今後の活躍、活動についてはいろんな形で相談させていただき、いい形で支援させていただければ」と答えた。
滝沢市長に問われてあらためて當銘選手は「ちょっと不完全燃焼、煮え切らない」。「本当はこれ以上ないくらいの結果を出し、自分のやってきたことを出し切れたら、一瞬でやめたいと思えたと思う。例えばマラソンの大迫選手のようにすごい結果を残されて。そういう風になれなかった。
「次の日も全然、疲れてなくて。なんであのとき動かなかったんだろうという感じ。緊張感も無茶苦茶あったのかと言われるとそうでもない。ちょっとよくわからない。煮えきらなくて次の日も練習してしまって、なんでこんな練習でできることができなかったのか」と困惑している胸のうちを明かした。
「俺ってこんなだったっけ。こんなに何もできなかったなということを確認したくて。で、やったらやったでできたので、なんであのときできなかったんだろうとなおさらずっと」、「あんまり長くないアスリートの人生のなかで、国内開催の五輪に本当にたまたまタイミングよく出場することができたのは、誰がなんと言ってもとてつもなく大きい」と続けた。
その状況で「三条市民として、代表として五輪に出たっていうのは、すごい誇り。正直、負けて帰るのはあんまり気が向かなかったが、帰ってきたら帰ってきたで、そんなことを気にしなくていいくらい歓迎してくれたんで正直、ほっとした」と笑顔をこぼした。
當銘選手は五輪出場が終わってすぐ県内高校カヌー部を指導した。「自分が学んだことを単にインスタグラムとかで放出して教えるよりは、新潟県の子たちが速くなるように教えた方が価値があると思った。今まで漕ぎの動画を全部、公開したことはない。ここに戻ってきたら、この子たちをトップのレベルまで押し上げたいという気持ちが強いので、自分の学んだこと何ひとつ隠さずに、出せるものは全部、出していきたい」と県内の後進の育成に力を入れる考えを話した。
同時に高校生の指導で、「本当に自分がそれによって気持ちが安定したというか、助かった。自分が救われる場所がまだあるなと感じた。正直、落ち込んでいた気持ちも楽になった」という効果もあった。
中国の選手などと比べて「練習もすごいが、強化の体制が雲泥の差」、「プロと少年野球みたいな感じ」、「ああいう練習してれば確かにメダルを取るかもって今だったら思える」、自分が今後メダルを取る取らないにしても、歴史とか積み重ねたもの、経験っていうもの、全体の強化のレベルというのを自分からやるなら底上げしていかないと今後もメダリストは多分、生まれない」。
三条市スポーツ協会の岩瀬晶伍事務局長は「これからの活動は本人も決めきれない。やめたいという気持ちよりも、どうやって続けていこうかというところを強く願っているところもある。今後、五輪でメダルを目指せるような支援体制を三条市スポーツ協会も県のカヌー協会もとっていかなければならない。その辺はまたあらためてお願いしたい」。
三条市スポーツ協会の野崎勝康会長は、五輪前の當銘選手は絶好調だと聞いて楽しみしていたが、予想外の結果に「當銘選手に聞いたら、金縛りにあったような感じで体が全然、動かないという」、「本番でそういうふうなことが起きるのかなと。過去の方が言われた魔物が住んでるんだというようなことを目の当たりにした」。
カヌーは30歳代が円熟期なので3年後、7年後の五輪も目指すことができ、「本人が沖縄に帰らないで三条にしばらくいる気持ちなら、カヌーを三条で根づいて、これを足場にカヌーを掘り下げ、三条はカヌーのまちだという声にもっていってもらえるなら、市長からひと肌もふた肌も脱いでもらって、そういう体制を一生懸命に真剣に取り組んでみてもいいんじゃないかと思う」と滝沢市長に要望した。
自身も関係者もどうにかしてでも五輪に行こうという思いでやってきた。「今後を見据えると出場だけのためとか、ただ単に気持ちだけでとか、もうそういう時期ではないと感じる。自分自身も家庭があり、金銭面はすごく大きい一面にもなる。今後どれだけ自分が働きかけて、そのサポートしていただける体制をつくれるかっていうのは、続けるうえでは本当に大きい」。
「もしそうできないのであれば続けるよりは競技者じゃないとしても、家族の近くにいたいって思うが強いので、そうしたい」とし、ほかにも科学的なサポートや選任コーチを自分が選べること、さらに代表でないと国からの支援が受けられないので「目標はチーム當銘」と具体的に願いを話した。
今後は「1年、思いっきり、次の五輪出場トライしたい」、「そこで手応えを得るものが本当にまったくないなら、それはもう完全に身を引くべき時期なんだと思うし、自分としてはできてるのにできなかったという複雑な部分があるからこそ、もう1回、挑戦したいなって思いはある」。
2日後に沖縄に戻る。「今のところは少し休んで、本当に競技するうえで何が足りないのかをもっと細分化して考えてないと。もう時間はそんなに多くなうく、4年プランで考えてはもう遅いので、無駄なことしてる時間は本当にない」。
「こういう結果だったが、目を輝かしてくれる子どもたちもいる。少数でもその人たちのためには頑張りたいという思いはあるので、しっかりそういう活動をしていきたい」と環境が許せばワークショップなどでの指導の考えも話した。