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三条市名誉市民で紙塑人形作家の鶴巻三郎さん死去(2005.6.13)

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三条市名誉市民で紙塑(しそ)人形作家の鶴巻三郎さん=が、12日午後8時24分、入院先の病院で肺炎のため亡くなった。97歳だった。

肺炎で97歳で亡くなった鶴巻さん

肺炎で97歳で亡くなった鶴巻さん

2002年9月10日、旧三条市から「名誉市民の証」を受けたときの鶴巻さん

2002年9月10日、旧三条市から「名誉市民の証」を受けたときの鶴巻さん

第23回日本現代工芸美術展文部大臣賞受賞作『抱包』

第23回日本現代工芸美術展文部大臣賞受賞作『抱包』

鶴巻さんは、明治41年に旧三条市で生まれ、和紙を使った紙塑人形の製法を考案。昭和21年の第2回日展で童人形「せんこはなび」で特選を受賞した。

41年に日展会員となり、県展や旧三条市の市展の開催に尽力するなど、さまざま自身の創作活動にとどまらず市内、県内の美術振興に貢献。平成14年9月に旧三条市の4人目の名誉市民となり、5月1日の新三条市誕生後も名誉市民はそのまま引き継がれ、旧下田村の故諸橋徹次さんを含めて新三条市5人の名誉市民のひとりだった。

鶴巻さんは、平成15年に右大腿骨を骨折。自宅でリハビリテーションを行っていたが、ことし2月に胸の調子が悪くなり、市内の済生会三条病院に入院し、軽い手術を受けて回復に向かっていた。

しかし、その後に肺炎にかかり、治療を受けていたが、12日夜、家族全員に見守るなかで、息をひきとった。

娘の斉藤純子さんは、父の鶴巻さんについて、よりいいものをつくりたいという思いで、作品の制作や会の運営などではとても厳しい面もあったが、強い精神力をもち、人間愛にあふれる純粋な人だったと話す。

三条の人の応援で作家活動を続けられたことに感謝し、三条に尽くしたい、恩返しがしたいという思いが強く、常々、自身の作品の抽象的な作品をモニュメントにしてみたいと話していたが、チャンスに恵まれなかったと話していたと言う。

13日開かれた第2回三条市美術展運営委員会で鶴巻さんに黙とうをささげる委員

13日開かれた第2回三条市美術展運営委員会で鶴巻さんに黙とうをささげる委員

通夜や葬儀は、親族だけの密葬で行う。

また、13日午後2時から三条市中央公民館で開かれた第2回三条市美術展(市展)運営委員会 (中條耕二委員長)のでは、冒頭で、同委員会顧問でもある鶴巻三郎さんの冥福を祈り、出席者全員で1分間の黙とうをささげた。

高橋三条市長は鶴巻さんの死去に伴うコメントを出した。コメントは次の通り。

「三条市名誉市民鶴巻三郎氏」逝去に伴う市長コメント
三条市名誉市民 鶴巻三郎さんの突然の訃報にあたり、謹んで哀悼の意を表します。

鶴巻三郎さんは、和紙を素材とした紙塑人形に独自の製法を加え、従来の人形制作にその創造性を大きく発揮し、造形美術の一分野である人形制作に新しい道を切り開かれ、本市におきましても長年にわたり文化財の保護に携われ、また本市美術展の設立に当たりましては、その中心的存在として深く関わられてこられました。

美術を志す後進の育成と広く文化芸術の振興にご尽力された鶴巻さんを失うことは、本当に残念でなりません。

鶴巻さんの在りし日のご遺徳を偲び、今はただ安らかなるご冥福をお祈り申し上げます。

平成17年6月13日

三条市長 高橋一夫

紙塑人形の鶴巻三郎さんに三条市が「名誉市民の証」(2002.9.10)