そこには世界からスペシャリストが集まっていた。「同じ洋服を作る仕事をしていて、日本人であるということはどういうことか、日本人の技術が必要とされる理由は何だろうと考えさせられた」、「14歳のときから縫うためだけに勉強してきたわけじゃない。そこに必要だったのは、縫うスペシャリスト、日本で日本人として日本人に対してモノを作ることがいちばん難しいと思った」。
3カ月間、働いてめがねにかなえば、さらに仕事が延長されることになっていたが、3カ月たった所で日本でもう一度、修行してから再挑戦するように言われたが、もうそのつもりはなかった。「すごく楽しかったし、悔しかったけど、見返すために帰る場所ではないと思った」、「世界中の人が振り返るような服を作りたいわけじゃないことに気付いた」。
ここでも14歳の自分に語りかけた。「すごく美しい将来を何の曇りもない目で見ていた14歳のわたしを傷つけていた」。これからは「14歳の自分に恥じない生き方をすること」と14歳の自分が教えてくれた。
立ち止まってあらためて考えてみると、かなえたい夢はかなったと思った。本当に尊敬するデザイナーを手伝うことができたり、有名人が着るような服をデザインしたり、テレビ番組で嵐のメンバーにミシンを教えたり。ニューヨークではオバマ大統領のミシェル夫人の服を縫うチームに入り、数ある服の中から自分が手掛けた服をミシェル夫人が選んで着用してくれたり。
ニューヨークで挫折を味わいながらも2013年9月、自分の存在を確かめようと四谷三丁目の雑居ビルで初めての個展「ここ」を開いた。「こういう表現をしたいということをみんなから知ってもらうことができた」。しかし東京で活動を続けることは、雑音や情報が多過ぎ、金もかかり、新しく何かを始めることに違和感があり、12月に三条市の実家へ戻った。
ことし4月から活動を再開し、積極的に手掛けたい東京の仕事を続けながら、紙もの雑貨店でのワークショップを皮切りに、三条市内を中心に各地でワークショップを行い、個人からの洋服のオーダーも受けている。今回の展示は、ツバメコーヒーの田中辰幸さんとの会話のなかから話が進んだ。
活動の再開とあわせて「と イカラシ」の名義で名刺を作った。「誰かの名前“と”わたしの名前が並ぶものづくりがしたいという意味で、それはお客さんと対等な関係でものづくりがしたいということ」。
「作り手が今後の作り手に好ましい環境をつくり出せるのでは。その感覚は三条に戻ってさらに強まっている。プロモーションがなく、工場がなくなったり、職人がいなくなったり。もっとも作り手が大切にされなければ」と広くものづくりの現場の環境改善を願っている。
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