【弥彦村長選】新人の本間芳之氏が立候補へ「公平で公正、明るく、活力と多幸感に満ちた弥彦村」を目指す (2022.9.5)

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新潟県弥彦村で来年1月に行われる村長選に無所属で立候補する新人のTeNYサービス代表取締役社長・本間芳之氏(65)=弥彦村上泉=が5日、記者会見し、「公平で公正、明るく、活力と多幸感に満ちた弥彦村」を目指すと決意表明した。現職の小林豊彦氏(77)も3選を目指して立候補の意向で、選挙戦となる見通しだ。

 弥彦村長戦に立候補する本間芳之氏
弥彦村長戦に立候補する本間芳之氏

2期目を終わる直前、1979年に死去した本間道夫元村長の長男で、上泉に生まれ育ち、今も暮らす。県立巻高校から大東文化大学経済学部経営学科を卒業し、1981年にテレビ新潟放送網(TeNY)入社。昨年6月に執行役員事業局長で定年退職し、現職に就任。9月13日の株主総会で辞任の予定だ。

9月まで上泉区長で、弥彦村社会福祉協議会評議員で燕・弥彦地域公共交通会議委員を務める。 これまで24時間テレビ実行委員会副委員長、防災キャンペーン実行委員会委員、弥彦小学校PTA会長、にいがた文化の記憶館評議員を務め、今はにいがた商工会議所会員、長岡青年会議所特別会員、郷土の文化に親しむ会会員。

記者会見で決意表明
記者会見で決意表明

決意表明で本間氏は、地域の人や同級生、村内の団体から「ものすごい熱量で熱心に粘り強く説得され」、「私に対して切望されている」と強く感じ、7月中旬に最終的な立候補の決意をした。

父が死去して1、2年後に親しい人から、会社をしっかり勤めあげたあとは弥彦村のためにしっかり尽くすように言われ、「30歳を過ぎた私は、ずっとそれから耳の奥にその言葉が残っていた。まさにそれが今なのかもしれないと運命なのかもしれないと感じた」。

父が1980年に制定した弥彦村民憲章を本間氏の信条の一丁目一番地とする。行政経験はないが、仲間たちと一緒にプロジェクトチームを立ち上げて村政運営に当たり、さまざまなケアを地域の一緒になって考えていく。国内唯一の村営の弥彦競輪、ふるさと納税もさらに拡大させる。

記者会見で決意表明
記者会見で決意表明

「さまざまな人の意見に耳を傾け、議論を深め、多幸感のある活力に満ちた、公平で公正な新しい弥彦村政を目指していく」と述べた。

記者からの弥彦村政の課題についての質問に本間氏は「団体や業界、さまざまな村民の人たちの声を本当に受け止め切れているんだろうかということを若干、感じている。弥彦村が厳しい状況に陥ることを危惧されているという人の声が私の耳に入ってきている」としながらも「私の口から現政権に対してものを申すということではない」と答えるにとどめた。

父は家族で旅行に行ったこともなく、スーツか寝間着以外の姿を見たことないほど仕事に集中し、開館には間に合わなかったが美術館を完成させた。「非常にアイデアにあふれた行政の仕事をやってきた」と評価。「体に染みついいるし、そういうことは継承したい。箱をつくるのがすべてではないが、有機的にいろんな人たちが結びつく、村内の人がいっぱい来て楽しんでくれる、そんな環境づくりをやっていけたら」と述べた。決意表明は次の通り。

本間芳之氏の決意表明

このたび、来年1月の弥彦村長選挙に無所属で立候補の決意をいたしました。以前より地域の方々、同級生、村内のさまざまな団体の方々から、ものすごい熱量で熱心に粘り強く説得され、今までの人生でこんなことはございませんでした。大変、何か私に対して切望されているんだなということを強く感じたしだいです。

現在、弥彦村を変えてほしい、新しい弥彦村をつくってほしいというマグマが地響きとともに私に噴き出してきたということを実感しております。私はこの人口7722人の、この弥彦村で暮らす人たち一人ひとり、誰一人残さず、公平で公正、明るく活力に満ちた、多幸感に満ちた弥彦村を、皆さんと一緒につくりたい。弥彦村の新時代を皆さんと一緒に切り開いていきたいというふうに思います。

そして私は今、何者でもありませんが、次世代へ弥彦をつなぐために65歳にして長年、勤めた会社をまもなく辞職し、正真正銘、退路を断って、全力で頑張りたいと覚悟をいたしました。

もちろん家族は大反対でございました。88歳の母親は毎日、毎日、どうしょば、どうしょば、というふうに言っております。父親のことを考えれば当然だと思います。妻ももちろん反対でしたが、今はしっかりとサポートをしてくれており、大変、感謝をしております。これから長く険しい道かと思いますが、全身全霊、精一杯、頑張っていきたいというふうに思っております。

父のことでありますけれども、父、本間道夫は上泉に生まれ育ち、昭和54年から弥彦村長として2期を駆け抜けました。亡くなったのは任期満了の直前でありました。私がちょうど30歳のとき、父は59歳の若さでありました。

父が亡くなって1、2年たったころ、大変、親しくしていた方がお参りに来ていただきました。その時、芳之、いいか、お前は今、すべて会社で必死に働いて勤め上げる。その後は弥彦村のためにしっかりと尽くすんだぞということを言われたときに、その30歳を過ぎた私は、ずっとそれから耳の奥にその言葉が残っていました。

まさにそれが今なのかもしれないと運命なのかもしれないと感じて、私は何者でもありませんが、この弥彦村のために、全力で頑張っていきたいと決意をしました。父が昭和55年に制定した弥彦村民憲章を1丁目1番地として私の信条とさせていただきます。

さて、私には行政経験はございませんが、村内外から多くの仲間たちが支えてくれており、その方々と一緒にプロジェクトチームを立ち上げて、みんなで突き抜けていきたいと思っております。あらためてその公約を村民の皆さまにお示しさせていただきたいというふうに思っております。まもなく本間芳之後援会も設立されます。もちろん皆様のご意見、ご提案をしっかり受け止め、今しなければならない喫緊の課題を最優先に解決してまいります。

子育て、教育など住みよい環境をつくっていく。弥彦に住みたい、弥彦で起業したい人を強力にバックアップし、女性の活躍推進ができ、年寄りに寄り添い、減災、防災対策など、さまざまなケアを地域と一緒になって考えてまいります。

基幹産業である農業、商工業、弥彦神社の門前町としての観光業。皆さまと議論しながら一緒に発展させていきたいと考えております。国内唯一の村営の弥彦競輪も、ふるさと納税もちろんさらに拡大をさせていきたい。いうふうに思っております。

私はさまざまな人の意見に耳を傾け、議論を深め、多幸感のある活力に満ちた、公平で公正な新しい弥彦村政を目指していきます。今、大変、多くの方々から力強いエネルギーをいただいております。本間芳之、皆さまの代表として頑張ってまいります。どうぞご支援、ご協力を何とぞ何とぞいただけますよう、どうぞよろしくお願いをいたします。


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