西潟為蔵地方創生フォーラム「八十里越と県央の未来」(1/4)

(2023.10.31)

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八十里越開通に向け西潟為蔵会から3市長に3つの提言

新潟県三条市下田地区出身の政治家、西潟為蔵(にしかた ためぞう)(1845-1924)を顕彰するNPO法人西潟為蔵会(理事長・弥久保宏駒澤女子大教授)は29日、三条市体育文化会館で「八十里越(はちじゅうりごえ)と県央の未来」をテーマに西潟為蔵記念「地方創生フォーラム」が開かれ、約250人が来場した。県央地域3市の市長が顔をそろえ、3年後の八十里越開通に向けた西潟為三会の3つの提言についてそれぞれの市長が八十里越開通への期待などを話した。

左から西川為蔵会の弥久保会長、鈴木燕市長、藤田加茂市長、滝沢三条市長
左から西川為蔵会の弥久保会長、鈴木燕市長、藤田加茂市長、滝沢三条市長

八十里越は、新潟県三条市と福島県只見町結ぶ国道289号の自動車通行不能区間。西潟為蔵は私財を投じてその開削に貢献し、1890年(明治23)に工事が完了し、里道から県道に昇格。しかし時代の変遷や交通機関の変遷で荒れ果てていったが、1969年(昭和44)に八十里越が国道299号に編入され、72年(昭和47)には八十里越地点開発促進期成同盟会が発足。その初代会長が田中角栄、カウンターパートの会津側は渡部恒三だった。

三条市長は橋やトンネルの名称公募、八十里越開通記念マラソンを検討

地方創生フォーラムでは滝沢亮三条市長が「国道289号線全通と三条市の取り組み」のテーマで基調報告を行った。八十里越事業の工事の進ちょく状況や三条市と会津側との新商品開発、秘境八十里越体感バスツアー、八十里越七名山キャンペーン、木が枯死や発育不良になっているハナミズキロードの改修、下田マーケティング中学校といった取り組み、さらに橋やトンネルの名称公募、八十里越開通記念マラソンを検討しており、国には開通日をその1年半前、遅くとも1年前には示してほしいと求めていることなどを話した。


基調報告を行う滝沢三条市長
基調報告を行う滝沢三条市長

そのあとパネルディスカッションで、弥久保会長を司会に滝沢市長、燕市の鈴木力市長、加茂市の藤田明美市長がパネリストを務めた。弥久保会長は、八十里越観光圏の構想、八十里越ハンドブックの作成、県央観光のビジターセンターの設置の夢が膨らむ3つの提言を披露した。

橋・トンネルの名称公募
八十里越開通記念マラソン

提言1 八十里越観光圏の構想

■弥久保会長

八十里越観光圏の構想は、ヨーロッパアルプスのモンブランがフランス、イタリア、スイスの3つにまたがって観光圏を形成している。八十里越を中心に県をまたいで新たな八十里越観光圏をつくろう。日光観光圏があり、東京から来た人はすぐそこに八十里越観光圏が整備されていれば、もう1泊してこちらに足を伸ばそうという要望も取り込める。


西川為蔵会の弥久保会長
西川為蔵会の弥久保会長

それにより三条市下田地区が日本海側への単なる入り口ではなく、観光ハブの役割を果たすことになる。三条と燕のものづくりや体験型の産業観光、加茂市の北陸の小京都などと合わせてゲートウェイの役割をできるのではという構想だ。

天明の大飢饉に見舞われた奥会津の人を救うため、燕に救援米千俵が買い集められ、そこから五十嵐川を上って下田森町地区まで舟で運び、八十里越を越えて奥会津へ救援米を届けた。八十里越の開通で来春開院する県央基幹病院が近くなり、「命をつなぐ道」が復活する。

きせる職人が仙台や江戸から会津に移り、八十里越を越えて燕に伝え、間瀬銅山も重なって発展した。戊辰戦争では東軍が長岡城を奪還するため加茂の市川邸で奥羽越列藩同盟が加茂軍議を開いた。のちに河井継之助は八十里越を敗走した。

只見町の「ただみ モノとくらしミュージアム」所蔵の「会津只見の生産用具と仕事着コレクション」は国の重要有形民俗文化財で、仕事着の多くが加茂で生産された加茂縞で作られている。八十里越は「加茂縞の道」とも言われ、明治に開削されて自転車が通れるようになると、自転車に加茂縞を積んで只見へ運んだ。

■滝澤三条市長

滝沢三条市長
滝沢三条市長

基本的には外から観光で来る人は、行政上の市や町の境界は全然、見ないと思う。そういう意味で、八十里越観光圏はわたしが冒頭、申し上げたこととつながる。一方で福島県側とも組むことになり、いろいろ頑張って同じ温度差でやっていかなければならない。

そのためには行政側だけでなく、それぞれの八十里越観光圏を構成する行政上の区分の市町村の住民の理解や熱意をしっかりと得ていくのが大事になる。

■藤田加茂市長

藤田加茂市長
藤田加茂市長

地域観光圏として観光の事業に取り組むことにまず一歩、踏み出すことで、その地域の皆さまの意識が高まっていくことにはなる。行政だけでなく地域の皆さまと新潟県側と福島県側の皆さまと一緒になって盛り上げていけたらいい。


こういうきっかけがないと、先ほど弥久保先生から紹介があった加茂縞と八十里越の関係も掘り起こしていくことができなかった。こうした新しい気づきも得られるし、国の重要有形民俗文化財に指定されている「会津只見の生産用具と仕事着コレクション」の仕事着のほとんどが加茂縞だったというところ。私はずっと行ったことがないが、ぜひ伺ってみたい。

残念ながら加茂縞はもう生産されてなく、在庫限りになってしまった。作る人も作る機械もなく、今の加茂縞の織物がなくなると商品も作れないという状況。その加茂縞がなくなる前にぜひそういった交流も取り組んでいけるといいと感じた。

■鈴木燕市長
西川為蔵会の弥久保会長
鈴木燕市長

広域でルートを周遊化させることは非常に大切で、広域的な観光圏をPRするのは重要な戦略と思う。この3人だけじゃなくて、燕市のとなりの弥彦村と一緒になって燕・弥彦の観光で売り出しているので、弥彦を強力な仲間、パートナーとして一緒に取り組む必要がある。

知事も言うように奥日光や会津と一体になって回ってもらうという意味では、その道が抜けることは非常に重要。そうなったときに、例えば新潟空港とか福島空港、さらに首都圏の空港も意識しなければ駄目だ。

八十里越観光圏はすごくいいネーミングだが、その観光圏で閉じるのでなく、新潟空港、佐渡、金山を意識するところまで広げて考えないと、なかなかその客を取り込めない。新潟県全体の広域の核、ゲートウェイとして、そこで閉じるのでなく、もうちょっと広がりをもたせる視点が大切だ。

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