この秋に行われる新潟県燕市の市長選に新人の会社役員坂井大志(さかい たいし)氏(45)=燕市大曲=が10日、記者会見を行って無所属で立候補すると正式に表明した。坂井氏は「誰よりもこのまちを愛し、まちのために汗を流す覚悟で、自分が築き上げてきた会社も引き継いで市長選に臨む覚悟」とし、ほかの立候補者を気にせず「自分自身がどうあるべきか、自分の覚悟を見ていただきながら燕市のために全身全霊で取り組んでいく」と決意を示した。
坂井氏は母の実家の東京都八王子市に生まれ、就学前に両親のいる燕市へ。大関小、小池中と進み、巻高校で生徒会長に。新潟経営大学経営情報学部を卒業すると、燕市を離れて県内の半導体メーカーや工作機械の商社で働いたあと、複数の会社を設立し、役員に就いている。市長選で当選したらすべての代表を辞する。
2015年に新潟市内で接骨院や就労移行支援の株式会社を設立したのを皮切りに、介護施設や病院が対象の訪問・出張ヘアカットの個人事業の立ち上げ、就労継続支援A型を運営する株式会社、イベントの企画運営を行う一般社団法人を設立し、それぞれの代表に就く。
記者会見で坂井氏は、出馬を決意した経緯を話した。昨年2月に98歳で死去した元燕市議、坂井寅作さんは坂井氏の祖父にあたる。現役時代は燕市職員だった。県央大橋の開通に地域の人と役所の間でもまれながら尽力する姿や渡り初めを目の当たりにした坂井氏は「地域のために汗をかくということが、ぼくら地域に育ってきた人間の役目なんだと小さいころから刷り込まれてきた」。
大学を卒業後は県内には住んでいたものの20年間、燕市を離れていた。市長選立候補に向けて新潟市中央区の家から住民票を燕市の実家に移した。「いつかまちに帰ってきて、まちのために汗を流さないかと、その時はオレが田畑を売ってでも応援して市長にならせるからやってみろと生前、(祖父が)言っていたことを思い出した。鈴木市長の退任の情報等を見て、このタイミングかなと。ことし46歳、体力、気力、すべてが充実している、成熟しているのが出馬のタイミングかなと思って決意した」。
仕事の経験と知見を生かして健康増進、介護福祉の充実、子育て支援の充実、そして観光産業を燕に持ち込むことを目指す。観光産業は良寛に注目しているが、燕市単体ではなく、近隣自治体と連携して取り組む。
困りごとを解決するのが得意。人口減少対策にも取り組む。「毎日がワクワクするような、坂井が市長になってから燕市は明るくなったね、楽しくなったねと言われるような要素、仕掛け」を行い、一例として外部に委託して庁舎に人が集まるような企画、イベントの運営を考えている。
実業家だけに人と金を集めるのも得意で、「燕市長になった暁には誰よりも燕市の先頭を切って走る営業部になるつもり。金がないなら集めてくればいいと思っている。市民からで足りないなら外から持ってくればいい。外から持ってくることが観光という意味。外貨を稼ぐっていうことをしなければ中だけで金は埋めない。市民だけに税金の負担を課せられない」。
寅作さんは燕市と三条市の合併の賛成派だった。坂井氏は「合併推進に賛成、反対は安易に言えない」とし、「合併する、しないに焦点を当てるのではなく、連携でいいと思う。時が来るんだとしたら合併もいいのかもしれないが、とにかくまずは連携すること」で、それにより「この県央地区がひとつの集合体というか塊になれるような連携モデルを新たに確立できれば」。ただ「合併というハードルの高いことにパワーを注ぐのは本当に難しい」との考えを示した。
柏崎刈羽原発の再稼働問題については、「まだ出馬を決めたばかりの人間として少ない情報のなかで、稼働させた方がいい、止めたままがいいと明言する立場ではないと思っている」と意見を保留した。
また、双極性障害やADHD、パーソナル障害の診断を受け、投薬治療を受けていることを公にしている。「順調にいっており、今、本当に気力も体力も十二分に走りきれる状態に修正できた。診断は消えないが、上手にメンテナンスをかけながら十二分に職務を全うできる体のコンディション状態」と自信を示した。
これから選挙戦に向け、足で稼ぎ、企業への認知と両面で進めていく。同級生らと冷静に落ち着いて支援の輪を広げていく。SNS戦略も展開し、自己発信と周りからの支援と2方向で活動をしていく。政治団体「飛燕会」とほかに後援会も立ち上げる
記者会見後、坂井氏は「いい記者会見だった」と満足し、「一生でいちばんの集大成」と表現した。緊張して言葉をかんでしまったことに悔しさを感じながらも、思った通りに話すことができ、自分の本意が伝わったと感じた。記者会見によってさらに決意が固まり、「いよいよ本当に始まった」と実感していた。
趣味はバンド活動でボーカリストとして現役続行中。「伝道師」の肩書きを名乗っているのは宗教的な背景ではなく、たくさん会社を経営していて、自分自身を一言で表現する言葉に困っていたときに、信頼する学者から、人と人をつないだり、人とモノをつないだり、困ってることを好転させたりする能力は伝道師だと言われたから。