2006年3月20日、新潟県の旧燕市、旧吉田町、旧分水町の1市2町が合併してからちょうど20年の20日、燕市文化会館で合併20周年記念式典が開かれた。合併後の初代市長の小林清元市長、続く鈴木力前市長、南波瑞夫前副市長を含め、式典には招待者250人、一般150人の約400人が参列し、20年を振り返り次の10年、20年に向けた新たな決意を共有した。

佐野大輔市長は式辞で、合併当時は神奈川県内で暮らす大学生だった自身が、20年後の節目に市長として壇上に立っていることにふれ、「時の流れの速さを感じるとともに、深い感慨を覚えている」と語った。
この20年間に、急速な少子高齢化、世界的金融危機、東日本大震災や能登半島地震、新型コロナウイルス感染症の流行など、幾多の困難に直面したことを振り返り、市民とともに産業振興、教育・子育て環境の整備、医療福祉の充実、都市環境の向上などに一歩ずつ取り組んできた。

その成果として、ものづくりのまちとしてのブランド力向上に加え、「子育てするなら燕市で」を掲げた施策の充実、昨年9月オープンの屋内遊戯施設「うさぎもちハレラテつばめ」、道の駅 SORAIRO 国上の好調な集客、高校生や若者主体のまちづくり活動。さらには県央基幹病院の開院や県立吉田病院改築の進展などを挙げた。

「先人が築き上げた成果を土台に、人口減少などのさまざまな課題に正面から取り組み、子どもたちが郷土への誇りと未来への夢を抱ける『日本一輝いているまち燕市』の実現を目指す」と約束した。

渡邉雄三市議会議長は、20年を振り返って「市民の皆さまと共に、この輝かしい節目を迎えることができたことを心よりうれしく思う」と述べた。
合併当初はひとつになることへの不安もあったが、「地域の垣根を越えて互いに手を取り合い、共通の目標に向かって歩むひとつとなった燕市の姿がある」。人口減少や少子高齢化の中でも、ものづくり産業の活性化や教育、子育て環境の充実などで成果を重ねてきた歩みをたたえ、「市議会としても行政と車の両輪となり、燕市のさらなる発展を力強く後押ししていく」と決意を示した。

笠鳥公一副知事は花角英世知事の祝辞を代読した。燕市は「県内有数のものづくりのまち」で、江戸時代から受け継がれてきた伝統を土台に、海外展開やブランド力向上など「時代に合わせて新たな挑戦を続けてきた」と評価した。
また「子育てするなら燕市で」を掲げた切れ目のない支援や交流人口の拡大にもふれ、「燕市の取り組みは県内の他地域にも大きな影響を与えている」として、今後のさらなる発展に期待した。

国定勇人衆院議員は、小林元市長、鈴木前市長との連携を含めて三条市長時代から燕市とともに歩んできた20年を振り返り、「限りない感慨を覚えている」。
産業政策や産業観光で「切磋琢磨しながら、時には一体感をもって歩んできた」とし、とくに県央地域の救急医療体制整備については「お互いの強いきずなだ」と強調。「誇らしい燕市が10年後、20年後もますます飛躍されることを願う」と祝意を示した。

菊田真紀子衆院議員は、旧3市町が「それぞれの長い歴史と文化を持ち寄り、新しいまちとして歩みを始めた」と20年の重みを振り返った。
ものづくりを基軸とした産業振興や「稼げる農業へのチャレンジ」、安心できる医療体制の整備に加え、「年間50億円を超える」ふるさと納税の実績にも言及し、「子どもたちのため、次世代のために活用されていることは本当に素晴らしい」とたたえた。

打越さく良参院議員は、佐野大輔市長に「若さとエネルギーあふれる市長」、「市民の声に耳を傾け、さらなる発展のために尽くそうとしている」と期待。一方で、国際情勢が地域産業や医療、農業に与える影響にもふれ、「国政の場でしっかりと汗をかいてまいりたい」と語った。

小林一大参院議員は、地域産業を支えてきた事業者や市民の努力に敬意を示した。産業観光は「燕にしかなし得ない新たな価値の創造」であり、「訪れる人々を引きつける唯一無二の観光資源」と評価。「次の20年、30年と伝統を守りながら革新を続け、子どもたちが誇りを持てるまちであり続けてほしい」と期待を込めた。

記念映像の上映も行った。20年を振り返る記念映像と、燕市ゆかりの人たちから寄せられたビデオメッセージを上映。落語家の立川談春さん、米ウィスコンシン州シボイガン市の関係者、燕市とコラボ事業を行う東京ヤクルトスワローズの石川雅規投手らが祝福を寄せた。

市民憲章の朗読を行って閉式。続いて記念アトラクションとして、小高保育園、よしだ保育園、島上保育園の園児による「つばめっ子かるた」の朗読と合唱、分水児童館ダンスサークルのパフォーマンス、分水中学校吹奏楽部の演奏で、未来を担う子どもたちが20周年に彩りを添えた。
ことしの燕市はこのあとも合併20周年記念事業が続く。