19日投開票の三条市議選(定数22)の立候補に向けた新人の相場浩氏(57)のキックオフミーティングが2日、図書館等複合施設「まちやま」のサイエンスホールで開かれた。会場には支援者ら約100人が参集。相場氏は「歩いて聴いて動かす三条」を掲げた。まち歩き、PTA、自治会など長年にわたる地域活動で培ってきた経験を踏まえ、「誰かと誰か、何かと何かの間に立ち、三条を動かしたい」と訴え、参加者は「和一緒(わっしょい)」コールを響かせて気勢を上げた。

市議選を前に相場氏が立ち上げ、代表に就く政治団体が愛する会「三条を愛する会」が主催して開いた。配布したリーフレットには、着物姿の相場氏の写真とともに「歩いて聴いて動かす三条」の文言を掲げる。
さらにそこには「私にあるのは、モノづくりで養った形にするチカラ。地域活動で培った合意形成、流れを整えるチカラ。私はつねに、誰かと誰か、何かと何かの『間(あいだ)』に立ち、三条を動かします」と相場氏の姿勢を端的に示した。
司会者は「しがらみや大きな後ろ盾に頼らず、この地域の皆さまとともにつくる挑戦のスタートの場」とこのイベントの性格を説明。現職国会議員や県議、市長らの来賓をあえて招かず、ニュートラルなスタンスを形で示した。
齋藤孝之輔後援会長はあいさつで、相場氏とは50年の付き合いと話し、「仲間思いで、とにかく人が集まる人間。彼の周りにはいつも人がいて、いつも熱い話があった」と人柄を語った。

若いころから互いに別の立場でまちづくりにかかわり、月1回、集まって語り合う関係を10年以上続けている。「毎月、毎月、顔を合わせて、世間話も仕事の話も、くだらない話もしてきた。そういう積み重ねのなかで、相場という人間を見てきた」と振り返った。
さらに相場氏が三条エコノミークラブ会長や三条祭り若衆会会長を務めたこと、八幡様の世話方、同窓会、民謡保存会、子ども大名行列、自治会、PTA、まち歩きなど幅広い地域活動に携わってきた。「何をやっても人と人の間の中心にいる人だった。誰よりも三条のことを愛していたと思う」と評した。
一方で、約3年前に相場氏の工場で火災が発生し、近隣に類焼が及び、相場氏が深い苦境に陥った時期にも言及した。「50年付き合ってきて、あんなに弱っている姿を見たのは初めてだった。すべてをひとりで背負っていた」と振り返り、声を震わせた。
「相場らしくやればいい。何でも話を聞くよと声を掛けた時に、くもっていた表情がいつもの笑顔に変わった。その顔は一生忘れられない」。「相場は口だけの男じゃない。やると言ったことは必ずやる。不器用だが逃げない」と述べ、支援を呼びかけた。
三条民謡保存会で活動を共にする高橋江里子さんは、三条祭りの民謡流しで三条音頭や三条おけさを演奏するほか、小学校での指導や地域の祭りでの踊り指導にも携わっていることを話した。

さらに、子ども大名行列の実行委員としても相場氏と一緒で、「お祭りが大好きで、お囃子が聞こえると飛び出していく。行けば必ず相場さんがいる、そんな存在」。コロナ禍で民謡流しができなかった時には、仲間とゲリラ民謡流しを行い、相場氏が三条の民謡や祭りを次世代につなげるために実践してきた姿を語った。
「相場さんは、楽しみながらも、その先を見通して、どうしたら持続可能なことになるのかを常に考えている」と評価。「市議だから応援するのではなく、相場さんだから応援したい」と力を込めた。
そして「三条の未来をつくるのは相場さんひとりではなく、ここにいる私たち一人ひとりでもある。子どもたちが何十年後かに『やっぱり三条に住みたい』『一度外に出たけど帰りたい』と言えるまちを、一緒につくっていきたい」と呼びかけた。
相場氏が立ち上げた子ども大名行列に参加した金安拓海さん(21)があいさつした。小学校2年生から6年生まで子ども大名行列に参加した。

「自分にとっての憧れの存在は、三条祭りの奴さんだった。やりを投げて歓声を浴びる姿が本当にかっこよくて、自分も絶対にあの存在になりたいと思って育った」と、祭りに強く憧れた。
年々、参加者が増え、金安さんが最後に出た年は、入ったころの2倍に膨らんでいた。中学進学後は指導側としてかかわり、今では子ども大名行列出身で本物の奴になった人が自分を含めて5人いる。
「これはすべて相場さんたちが種をまいて育ててきたから実を結んだもの。少ない人数の時も、台風でびしょぬれになった時も、腐らず続けてきてくれたから、今の自分たちがある」と感謝を口にした。
「伝統を守るだけでなく、新しい伝統をつくっていかなければならない。自分たちも次の世代として相場さんを支えたい」と述べ、会場から大きな拍手を受けた。
こうした応援を受けて登壇した相場氏は、着物姿でマイクを握った。まち歩き活動を通じて三条の歴史を語ることが多い。「今ではものづくりのまちと言われるが、もともとは商人のまちでもあった。川の港があって物流が盛んになり、呉服屋がたくさん並んだ。そういう歴史の重なりの中に今の三条がある」と、三条への思いを自身らしい語り口で語り始めた。
人生の転機となった火災についても率直に話した。「会社で火事が起き、延焼させた家もあり、たくさんの人に迷惑を掛けた。三条を出て行った方がいいんだろうなと思う時もあった」と明かした。

子どもの頃から知る地域の人たちに迷惑を掛けたことへの苦しみや、「俺は何者なんだろう」「何ができるんだろう」と自問した日々があった。気持ちを切り替えるきっかになたのが、仲間から掛けられた「おめらしくやればいい」という言葉だった。
さらに、三条エコノミークラブ会長時代に招いたイエローハット創業者・鍵山秀三郎氏からもらった「大切なものを大切にする」と書かれた色紙を思い返した。
当時は当たり前ことと思ったが、「家族も仲間も、そして地元三条も、自分にとって大切なもの。その大切なもののために、自分は本当に行動してきたのかと考えた時、まだ足りなかったと思った」と述べ、「大好きな三条に対して、行動として何かやれたらいいと思うようになった」と今回の挑戦につながる心境の変化になった。

そのうえで、自身が掲げる方向性として「三条ローカルネクスト」を提示。リーフレットでは、軸に据えるテーマとして1.【産業】ものづくりの誇りを次世代へ、2.【絆】お祭りや文化、伝統をコミュニティの再生に、3.【地域教育】持続可能な『創り手』を育てる、の3本柱を掲げている。
産業面では、まち歩きや観光の仕事に携わるなかで、三条の地域資源を外に向けてどう見せるかが重要と指摘。「ものづくりのまち、商業のまちとしての三条らしさを、外の人に響くような形で見せていく必要がある」と述べた。

地域コミュニティーについては、PTAや自治会活動の経験から「昔はできたが、今は人手不足や高齢化で地域活動が難しくなっている現実がある」としながらも、自身も7.13水害を経験した立場から「顔見知りで一声かけられる関係の大切さ」を強調。「人と人とのつながりを、もう一度三条で大切にしていった方がいい」と語った。
子どもをめぐっては、「地域でどう育てるかがこだわり」とし、子ども大名行列のように子どもたちが地域にふれ、地域を自分ごととして感じる機会を増やす重要性を訴えた。「地味でも持続可能性が大切。地域を自分ごとと思える子どもを育てることが、将来の三条の持続可能性につながる」と述べた。

自身の役割について「私は常に誰かと誰かの間、何かと何かの間に立つ人間だと思っている」。これまで地域活動で培ってきた合意形成や、流れを整える力を生かし、「いろんな人の声を聞き、それをひとつに束ねていくことで、三条でかなえられることがあるのではないか」と語った。
三条エコノミークラブ会長のときに「和一緒」と書いて「わっしょい」と読む言葉に出会い、1年間、それをテーマに掲げて活動した。そして「今、あらためて、わっしょいの気分で、三条の明日、未来を、何か形あるものに、みんなにとっていいものに、少しでも苦労が少ないものに、わっしょいできたらいいと思って三条を愛する会をつくり、その人間として活動していこうと思っている」と締めくくった。

市議となって具体的にやりたいことを並べるというよりは、自身の考え方や立ち位置を示すことで立体的に示し、理解したうえで支援というより判断して任せてもらおうという、異色な決意表明だった。
締めくくりは三条エコノミークラブ時代の後輩で、三条祭り若衆会の歴代会長も務めた石川貴大さん(39)の音頭で、両手で持ち上げるようなポーズで「三条!、わっしょい!」「相場!、わっしょい!」「浩!、わっしょい!」と唱和して心をひとつにした。

嘉瀬一洋幹事長はや梨本次郎事務局長を置く。幹事長からは、相場氏が「初挑戦で組織もなく、しがらみもないところからのスタート」と紹介し、参加者に対して知人らへの声掛けや後援会拡大への協力を呼びかけた。