新潟県三条市の若手経営者らでつくる異業種交流団体「三条エコノミークラブ」(浅野大喜会長)は24日、ジオ・ワールドビップ=三条市=で65周年公開例会「『好き』が人生を動かす」を開いた。元メジャーリーガーで、45歳の今も栃木ゴールデンブレーブスで現役を続ける川﨑宗則選手(45)を講師に迎え、有料の催しながら650人が来場する大入りとなった。川﨑選手は野球人生の転機やメジャーリーグ挑戦を振り返りながら、「好き」を原動力に今を生きることの大切さを軽妙なトークで語った。
「好き」を地域の明るい未来につなげる
冒頭、浅野会長は、65周年の今年度は「未来」をテーマに活動していると説明。「本来、未来とは明るいものでなければいけないと思いますし、われわれ自身で明るくしていかなければいけない」と述べ、「好きなこと、やりたいことを仕事や行動につなげることが、自分自身の未来、ひいてはこの地域の明るい未来につながる」と期待を込めた。
燕三条エフエム放送のラジオパーソナリティー、高野一美さんが聞き手を務めた。川﨑選手は、ファンがデザインした、野球のユニホームを着た2匹のサルが描かれた薄紫色のTシャツ姿。「みんな楽な格好で来てると思ったら、そういう会じゃなかったのか」と話すと、高野さんも「きょうは川﨑さんが一番カジュアル」と応じ、笑いの中でトークが始まった。
バスケにバンドも 「自分の軸をずらしてない」
川﨑選手は鹿児島県姶良市(あいらし)出身。父親が電気工事店を営み、幼いころは父親の勧めで空手を始めた。一方、5歳上の兄の影響で野球に興味をもち、小学4年から少年野球を始めた。
ところが、中学校では一度野球を離れてバスケットボール部に入ろうとし、3年ではバンドに夢中になってベースを手にした。鹿児島工業高校には野球の推薦で入ったものの、野球部の練習を抜け出してライブに出演し、監督に見つかったこともあった。
そんな“寄り道”も、川﨑選手にとっては無駄ではなかった。「自分の軸をずらしてない。誰かに支配されてない。常に自分がやりたいことをガキのころからやってた」。
野球だけではなく、バスケットもバンドも、その時々で好きなものに夢中になった経験が自身の生き方につながっていると話した。
「たくさん練習をしろ、元気を出せ」
高校では体育教師から足の速さと遠投力を評価され、プロ野球の入団テストを意識するようになった。しかし、実戦経験が足りないと考え、大学で4年間経験を積んでから挑戦する人生設計を描いていた。
ところが、本人の知らないところでプロのスカウトがその能力を見ていた。高校卒業後の2000年、福岡ダイエーホークスに入団した。
入団当初はプロの選手の体格や技術に圧倒された。体重は約63キロ。「なんで僕を取ったんですか」とスカウトに泣きながら訴えたこともあったという。
そこで支えになったのが、当時のチームで掲げられていた「たくさん練習をしろ」「元気を出せ」というシンプルな言葉だった。
「ホームラン打てとか、ヒット打てとかじゃなかった。この2つだけを守ろうと思った」。技術では先輩にかなわなくても、誰よりも練習し、エラーしても打てなくても元気を出した。
1年目の秋、自分は戦力外になると思いながら球団との面談に臨むと、待っていたのは契約打ち切りではなく、年俸50万円アップの提示だった。
寮に戻ってからも黙々と練習を続けていたことを寮長が見て球団に伝えており、元気に取り組む姿勢も評価されていた。
「一生懸命やってたら、やっぱり誰かが見てくれてる」。2軍時代には、いつも応援してくれるファンの姿が球団オーナーの目に留まり、出場機会が増えた。失敗を重ねながら、そこから学ぶことで「売るものがどんどんできるようになった」と振り返った。
メジャーで学んだ「英会話は20点でいい」
その後は日本代表として2006年、09年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で世界一を経験。12年からは米大リーグに挑戦し、シアトル・マリナーズ、トロント・ブルージェイズ、シカゴ・カブスでプレーした。
渡米時にはマイナー契約だったこともあり、通訳を付けずに飛び込んだ。最初のミーティングでは英語がほとんど聞き取れず、戸惑った。
それでもチームメートとの交流から「英会話は20点でいい。あとの80点は向こうが取ってくれる」と考えるようになった。
完璧に話そうとせず、まず自分から伝えようとすれば相手が助けてくれる。異文化の中へ自ら飛び込んだからこそ得た経験だった。
「未来ばっかり見ないで、今を生きる」
苦しい時期を乗り越えてきた原動力を問われると、川﨑選手は「やっぱり好きっていうところですか」と答えた。
そして、「先を見すぎないこと」と続けた。「未来のことが不安だったり、過去のことを引きずったりする。でも、そこじゃなく、今がどれだけ大事か。今を生きること、それが一番僕にとっては合っていた」。
野球についても、あえて「所詮野球」と表現する。野球が人生のすべてではなく、その先には家族をはじめ大切なものがある。必要以上に思い詰めないことも、挑戦を続けるうえで大切にしている考え方だ。
45歳になった今も、目の衰えに対応するトレーニングや瞬発力を保つ練習を続け、「45歳なりの“うまくなる”を毎日模索している」と現役へのこだわりを語った。
一方、将来については「予定は未定。常に変更しますから」と笑い、「自分の好きなことに対して、ぐっと夢中になれる。そういう癖がついていたのはよかった」と話した。
650人を笑わせ「三条市、チェスト!」
約1時間半に及んだトークは、野球人生の話から三条の背脂ラーメン、新潟の米や酒にまで脱線を重ね、会場は何度も笑いに包まれた。
途中では抽選で3人に川﨑選手のサインボールが贈られた。川﨑選手は鹿児島弁の「チェスト」について、「知恵を捨てる。考えすぎることを捨てるってこと」と、父親から聞いていた言葉として紹介した。
最後の記念撮影では、川﨑選手の掛け声に合わせ、650人で「三条市、チェスト!」。退場時にも通路を歩きながらサインボールを投げて来場者にプレゼントし、最後までサービス精神たっぷりだった。
栄中野球部の宮島さん「生の方がすごかった」
抽選でサインボールが当たった三条市立栄中学校3年の野球部員、宮島多優世(たゆせ)さんは、「高校時代の話とか、全部面白かった」と振り返り、テレビなどで見る川﨑選手と比べても「生の方がすごかった」と目を輝かせた。
宮島さんは投手で、高校でも野球を続けて甲子園を目指す。川﨑選手から受け取ったサインボールは「飾ります」とうれしそうに話していた。
関連リンク
- 三条エコノミークラブ – 新潟県三条市を拠点に若手経営者や次期経営者を中心とした異業種交流団体(新しいウィンドウで開く)
