第5回:スラムを訪ねて |
2006年6月12日掲載 |
スラムに入ってそこで暮らす人たちの生活を肌で感じる |
ケニアの人々も教育には熱心です。教育さえあれば貧困から抜け出せる。苦しい家計をやりくりしても、なんとか子どもたちに教育をと願う親心は万国共通です。
私は、在ケニア大使館の案内でスラム街に入ってみました。スラムに外国人が入るのは非常に危険で、襲われて身ぐるみはがされることも珍しくないと聞き、正直、とても怖かったです。
ナイロビの人口約200万人のうち、私たちが訪ねたスラムに100万人もの人々が住んでいると聞き、驚きました。スラムのなかは政府の手が届かない自治が存在し、学校や診療所、交番のような建物も見えました。
昼間なのに若者の姿を多く見かけました。みんな仕事がないのです。大家族の中で誰か一人でも稼げればみんながその収入にすがって生きているのです。
子どもたちの姿も多く見かけました。意外だったのは、子供たちが親しげに私に近寄って来て握手を求めたり、カメラを珍しそうにのぞいたり、英語で話しかけてきたことでした。あまりの明るさ、無邪気さに私の方が戸惑ってしまいました。
デジカメに映った自身の画像に目を輝かせて見入る |
どの子の瞳もきらきら輝いていました。日本の支援で建てられた学校がありましたが、とても粗末な小屋のような所で電気もない暗い教室でした。教育費は無料ですが、制服や教材が買えない家庭の子どもは、途中でリタイアしてしまうことも多いそうです。
また、高学年の女子は家計を助けるため稼ぎに出たり、若年婚などの理由で学校に来なくなるケースも多いのです。スラムで生まれた人がスラムを抜け出すことは容易ではありません。スラムの暮らししか知らず一生を終える人々のなんと多いことか。
苦しくとも教育を受けて頑張れば人生はこんなに変わる、成功できるというロールモデルが身近にあれば希望や目標をもてるようになるのではないでしょうか。日本の支援を教育の分野にもっと注ぐことを考えていきたいと思いました。
…続く
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菊田真紀子 新潟4区選出衆議院議員 【略歴】 昭和44年(1969)
昭和63年(1988)
平成7年(1995)
平成11年(1999)
平成12年(2000)
平成15年(2003)
平成17年(2005)
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関連リンク
- *Parliamentary Democracy – Inter-Parliamentary Union (IPU)*(新しいウィンドウで開く)
- ケニア共和国大使館(新しいウィンドウで開く)





