戦後の新潟県三条市で文化活動をけん引した市民劇団「三条演劇研究会」。その残された資料を展示する企画展「舞台を創る 三条演劇研究会の記録」が、23日から2026年2月1日まで三条市歴史民俗産業資料館別館「ほまれあ」で開かれている。三条演劇研究科会の足跡を後世に伝え、何らかの形で継承者の誕生も関係者は期待している。

三条演劇研究会は1952年(昭和27)に発足。その年から87年(昭和62)までの37年間に、ほぼ年に2本のペースで57本もの舞台を上演した。そのうち「反応工程」(1972)から最後となった「寿歌」(1987)まで15作品のポスターを展示。五十嵐川の築堤に私財を投げ打った松尾与十郎の感動ドラマ「築堤物語」、戦国時代の三条が舞台の「三条太平記」、浮世絵師の写楽をテーマにした戯曲「写楽考」など話題作も当時を知る人には懐かしい。
加えて台本、チケット、パンフレット、舞台写真、照明装置などが並び、「三条太平記」(1980)の舞台の一部を撮影した動画を上映している。「三条太平記」を書いた三条市の小説家の緑川玄三氏と、挿し絵などを描いた三条市の日本画家の廣川操一氏の2人がサインした「三条太平記」のパンフレットもある。

時代を感じさせる当時のポスターのデザインも秀逸。さらには舞台の大道具なども多くを三条市民が手がけている。三条市の文化人が力を結集した総合芸術で、クオリティーにも驚かされる。
会場には昭和の劇場にタイムスリップしたかのような空気が漂う。三条で芝居が息づいていた時代の熱気を、確かに感じることができる。
展示している資料はことし6月に三条演劇研究会が三条市歴史民俗産業資料館に寄付したもの。解散はしていないが、もう20年以上も活動休止状態が続いている。手をこまねいていたら資料は散逸してしまう。
三条演劇研究会は、県内の演劇界を主導する存在だった。三条の歴史や風土を題材にした創作劇に力を入れた。その地域に根差した文化活動の記録を後世に伝え、再び三条市の文化が盛り上がるルネサンスのきかっけになればと、会長の五十嵐正志さん(89)らが資料を集めて寄付した。
24日、メンバーの佐藤春男さん(71)が会場で来場者に展示資料を解説していた。佐藤さんは1972年(昭和47)に三条演劇研究会に加わり、翌年には舞台に立った。
「印刷も自分たちで覚えて刷りました。デザインを考えて、インクを練って、一枚一枚手で刷るんです。大変だけど、あれが楽しかった」と佐藤さん。資料を見ていれば当時の記憶が次々とよみがえる。

大道具も、地元の工具店から道具を借り、商店の土蔵に眠っていた古いよろいを使わせてもらい、衣装は人形屋で買った装飾を染め直すなど手づくり。けいこは年2回公演を基本に、約3〜4か月をかけ、後半は週5日、夜6時半から9時半まで公民館を転々としながら続けた。「みんな本業があっての活動ですからね。今、思えばよくやっていたと思います」。
この活動の中心にいたのが、五十嵐さん。東京で職場演劇を経験した後、三条に戻り、演劇研究会を率いた。「三条には何もない、文化がないと言われていた時代に、芝居でまちを元気にしたかったんだと思います。彼は人を動かす力があった」。

五十嵐さんはこの企画展のために自らの思いをつづった文章を寄せた。展示室には「企画展に寄せて」と題したその文章も展示。三条への思いと演劇への情熱が語りかけてくる。
「いつか、若い人たちと一緒に、また何かできたらいい。古臭い芝居だと思われるかもしれないけど、三条の文化の歴史として残していきたい」と佐藤さんはしみじみと話す。かつて確かに存在した舞台に生きた人たちの熱が、今も脈打っている。