4日から6日まで新潟県三条市の三条市立大学で開かれている「令和8年度全国理科教育大会・第97回日本理化学協会総会」で2日目の5日、同大学のアハメド・シャハリアル学長が「探究心が拓く未来―理科教育×次世代を牽引する地域産業の融合による価値創造―」と題して記念講演した。全国から集まった高校の理科教員らを前に、画一的な教育から脱却し、若者の想像力や創造性、好奇心を伸ばす必要性を指摘。地域企業と一体になってイノベーション人材を育成する三条市立大学の取り組みも紹介した。
「心が変わらないなら次世代に託す」
シャハリアル学長はバングラデシュ出身。応用システム工学、とくにバイオメディカル工学を専門とし、2000年に東京電機大学で博士号を取得した。
新潟産業大学、沖縄科学技術大学院大学などを経て、2019年から三条市立大学の設立プロジェクトを主導。2021年4月の開学と同時に初代学長に就任した。
講演では、日本で10年ほど前からイノベーションの必要性が叫ばれながら、十分に進んでいないとの問題意識を示した。
「企業の中でも大学のなかでも、私たちの心が一向に変わらない。私たちの世代の心が変わらないなら、次の世代に託すしかない。未来ある若い人たちにエネルギーを投資して、変えてもらうしかない」と語った。
ものづくりの集積地である燕三条も、AIやデータ技術、あらゆるものがインターネットにつながる技術、脱炭素、再生可能エネルギー、働き方の変化といった世界的な潮流から逃れられないと指摘。従来、技術を少しずつ改善するだけでは地域産業を未来へつなげられないとの危機感が、三条市立大学設立の背景にあったと明かした。
価格ではなく価値を売る時代
シャハリアル学長は、これからの産業は製品そのものの価格ではなく、製品が生み出す価値を提供しなければならないと訴えた。
スイカを例に、スイカを仕入れてそのまま売るのが従来型のビジネスとする一方、シャーベットやジュース、菓子などに展開することで新たな価値が生まれると説明。「今はスイカそのものではなく、スイカがもたらすさまざまな価値が求められている。いまだにスイカを売っているだけでは売れなくなる」と話した。
イノベーションを起こすためには、技術だけでなく、社会に残された「満たされていないニーズ」を見つけ、それを満たす発想が必要と強調した。
教育をファストフード型から農園型へ
現在の日本の教育については、全国どこでも同じ内容を同じ方法で提供する「ファストフード型」と表現した。
三条市立大学のオープンキャンパスで高校生を対象に行った模擬ワークショップでは、9グループから似通ったアイデアが出たことを紹介。同じ年代の子どもが同じ環境で、同じ教育を受け続ければ、発想も同じになりやすいとした。
一方、本来の教育は地域や季節、学ぶ人の状況に応じて内容が変わる「農園型」であるべきと主張。「作物がどちらへ枝を伸ばし、どこに花を咲かせ、実を結ぶかは、育てる側が決めるのではない」と述べ、一人ひとりの適性や関心を伸ばす教育への転換を求めた。
小学生に質問を促すと一斉に手が挙がるのに対し、中学生になると周囲の顔を見るようになるとの経験にもふれた。「子どもが本来もっている情熱や心の活力が、どこかで消えてしまっているのではないか。理科が彼らの心や情熱を満たしていないから、思春期に理科から離れていくのではないか」と話した。
AIが知識の蓄積や情報処理を担う時代に、教育に必要なのは知識の伝達だけではないとし、未来を切り拓く原動力として想像力、創造性、好奇心、「なぜだろう」と問いを立てる姿勢を挙げた。
「常識の内側にあるのは安定、維持、満足」
シャーロック・ホームズとワトソンを引き合いに、規則や制度、合意形成を重視する「ワトソン的」な考え方では、組織を安定して運営できてもイノベーションは起きにくい。常識を越えて考える「ホームズ的」な発想との融合が必要とした。
「常識の内側には何もない。あるのは安定、維持、満足だけ。常識の向こう側、水平線の向こう側にある景色を見ることができなければ未来はない」と語った。
学校教育には法律や制度の制約があることを認めつつ、探究学習は決められた枠の外側で生徒の好奇心や創造力を刺激できる機会になるとした。
193社と連携して地域全体をキャンパスに
講演後半では、三条市立大学が地域企業193社と連携して進める実学重視の教育を紹介した。大学の建物内だけで完結させず、「地域全体がキャンパス」と位置づけ、企業の現場を学びに組み込んでいる。
同大学が育成を目指すのは、複数の既存技術を融合し、新たな用途や価値を生み出す「イノベーティブ・テクノロジスト」。工学技術だけでなく、製品をどこへ、どのように届ければ価値が高まるかを考えるマネジメントも学ばせる。
知識や技術といったハードスキルに加え、コミュニケーション、チームや時間の管理、課題発見・解決、創造力、リーダーシップ、環境への適応力、細部へのこだわりなどのソフトスキルを重視する。
学生は1年次に企業を見学し、2年次には企画、開発、製造の異なる企業3社でそれぞれ2週間、計6週間の実習を経験する。3年次には1社で16週間にわたる長期実習に取り組み、企業の潜在的な課題を見つける。
その課題を4年次の卒業研究へ発展させ、学生、大学教員、企業の担当者が一緒になって解決を図る。
シャハリアル学長は「大学教授より工場長から聞いた方が臨場感があり、腑に落ちやすいことがある」と述べ、誰から、どこで学ぶのが最も効果的かを考えて教育を設計していると説明した。
地域企業の中から新たな事業を
企業との連携によって得られたアイデアは、概念実証を行い、可能性のあるものを知的財産化して共同研究につなげる。大学発ベンチャーだけでなく、既存企業の中に新たな価値観を持つ事業を誕生させ、企業や製品の付加価値を高めることを目指す。
シャハリアル学長は、地域産業への技術移転によって利益と雇用を生み出すことを「社会実装」と定義。「新しい雇用をつくり、地域へ知識を還元して経済的なインパクトを生み出し、燕三条の未来を確かなものにしたい」と述べた。
最後は司馬遼太郎原作の「坂の上の雲」を引き合いに、「組織の強さを決めるのは設備そのものではなく人」と強調。次代を担う人材の育成こそが、地域産業と日本社会の未来を切り拓く力になるとして講演を結んだ。
